片山元治、ウチの親分、どんぐり目玉に金歯がキラリ。
はじめて会った人は「なぜ、そんな事を一所懸命に話すのだろう」と感じてしまう。
たとえば水、地域、学校、石、百姓の暮らし、食べもの、老い、モノ作り、就農、そして農業。
生業の農業を継いだばかりの若い頃に地域の仲間とともに無茶々園を立ち上げる。
無茶々のことならどこにでも出かけていくエネルギー。いろんなコトに興味を持ち実行してしまう。
コツコツやるのは得意ではなく、新しいコトに興味が移ると後片付けは周りの者に。
一番辛抱強かったのはやっぱり奥さんの恵子さん。でもそのバイタリティは人を惹きつける魅力が充分。
「元が言うんやったら」と農家もスタッフも振り回されながら40年が経ちました。
世の中は生物輪廻の法則に従って動いています。つまり、生命の世界は、食べたり食べられたりしながら回っていると言うことです。そこには、生命保存の法 則があって、生あるもの、皆生きようとします。そのため、生命体はいろいろ工夫をします。生きるためにDNAを変化させ、毒を作り命を守ろうとすることも 出来ます。つまり、この世で完全に安全な食べ物は存在しないのです。食の安全はそこから見つめなくてはなりません。何千年も、何万年も、食べつづけたもの は、お互い地球規模で時間の流れと共に変化してきているのでそう問題はないと考えます。しかし、人間が化学的に合成した物質は、生命がその化学物質と付き 合い始めて歴史が極めて浅いから生命現象との順応性が未知数なのです。その意味で、人間が作った化学合成物資は全て安全とは言えない物です。その観点から マシン油を見ますと、多くの国の有機農業に認知された農薬として、マシン油は原油を精製して作った物ですが、乳化剤は合成洗剤の一種だと思いますので、化 学的毒性で害虫を殺すのでなく油で来るんで窒息死させる農薬だけれども毒性が無いとは言えません。ただ、このマシン油で反応する人は、地球上で反応しない 食べ物は無いんじゃないですか。そこまで来た人は、安全な物を探すより自分の身の回り、生活を見なおすほうが先だと思います。そして、地球上から化学物質 汚染をなくす運動に積極的に参加するべきです。
ミカン作りは1年間がサイクルなので1年間無農薬と言う意味でしょう。新JAS法では転換中有機栽培と言います。無茶々園は新JAS法の基準に順じての 表現に変えましたので、1年以上無農薬栽培したミカンと言う表現をしています。無茶々園は健康で安心して食べられる食べ物の生産を通して田舎作りを目指す 運動体です。一年間無農薬でミカンを作ると言う事は、並大抵の努力では出来ません。消費者はむしろ感謝して食べるべきです。このことで、不満のある方は、 食べてもらわなくても結構です。それよりも環境・健康の運動ですので、先に進んだ農家・今始まった農家、いろいろいます。不満を言うのではなく、本当に、 何年もの無農薬栽培のものが欲しいのでしたら、先を行く生産者とつきあってください。それ相応のお金で買えない努力が入ります。
環境・有機農業などへの努力はいくら頑張ってやっても、一般的に見えるものではありませんでした。むしろ、環境破壊をしておきながら綺麗事を並べて覆い 隠してきたのが企業の現状でした。ところが、ISO14001という国際環境規格の存在する事を知り、勉強をしてみると、ややっこしい事はややっこしいが 大変優れた手法の規格で、IT革命の時代にこの規格に従って環境管理をして公開していく事が、今後の農業に必要である事を認識しました。無茶々園の会員の 大半にパソコンを買ってもらい、生産工程管理のソフトを作り、毎日作業日誌を記入してもらっております。0-157、サルモネラ菌、狂牛病等、グローバル 化の世界での食べ物の価値は、できた食べのもに生産情報をそえてはじめて本当の価値が生まれる物と確信しています。
また、家庭生活でもISO14001を回す仕組みを作っています。そのうち、消費者会員の家庭でもISO14001を回してもらおうと思っております。
環境への努力が国際規格で見えるのがISO14001です。新JAS法の有機認証は販売のための基準であって、有機栽培で認められた農薬は減らすと言う 努力をしなくても良いのです。環境への配慮それは,健康への配慮でもあります。新JAS法には、環境への配慮の努力と言う視点が欠けています。皆さんも、 安全な食べ物が欲しいと言う気持ちと、環境への配慮の努力をしていますか。それは車の両輪です。
無茶々園は環境への配慮の努力に,視点を置いたISO14001を選びました。
私達の農業を取り巻く自然環境をよく観察すると、15年ほど前から、環境の異常性に危機感を持つようになりました。記録的な高温・記録的な日照り・記録 的な降雨どれを取っても不気味さを感じます。海の魚も・畑のとんぼやバッタや・カブト虫など昆虫が、種類も数もメッキリ少なくなりました。そして体が小さ くなりました。まわりの生き物達を見ても不気味さを感じられずに入られません。都市生活ではコンクリートのなかで年中快適環境で生活しているので気づかな いかもしれませんが・・・。
無茶々園の里の気温が20年前の鹿児島の温度と同じ高さになっているようです。20年前は、秋に枯れていた雑草が越冬するものもでてきました。害虫だっ てカメムシなど、石や,落ち葉の下でやっと生き延びていたのが、ミカンの木の上で越冬するようになりました。私は、世界の一番気候の良い日本でさえもこの 状態ですので、ヒマラヤや砂漠などの極限の地帯では、人は生きていけなくなっているのではなかろうかと予想していました。モンゴルでは、異常寒波で300 万頭の家畜が死んだそうです。
私の想像が当っていたような気がします。夏の夕立ちが来なくなって久しい。知らない子供も多くいるのではないでしょうか。近頃の若者の精子の数がものす ごく減っているそうです。そのうちに、朝立ちしない子供が多くなるのではないでしょうか。そのうち、人類も,佐渡島の朱鷺のように滅亡するのではないで しょうか。農業を取り巻く環境の異常性が、自然の現象なのか、人間が作った異常なのか、いずれにしても、人類が,自然への配慮の努力を怠れば、環境破壊は すでに遺伝子レベルまで深刻な事態に直面している事を物語っております。
無茶々園はISO14001を運用する事で、環境への配慮の努力を続けていきたいと考えています。そして、会員一人一人が自分達で出来るところから環境 への配慮の努力をしていくつもりです。そして、面倒でも,地球の生き物としての義務を果たしていきたいと思います。
孫悟空が一飛1万里の金団雲に乗って宇宙の果て迄行ってきたと思っていたら、なんのことはない、お釈迦さまの周りを回っていただけであった。
現代のハイテク、バイテク等の技術は、孫悟空の金団雲みたいなものではないでしょうか。下界の人間どもにすればすごい技術かもしれないがお釈迦様のような人間の本質を知り尽くしている神様にとってみればたわけた技術なのである。
しかも、これらの技術は金儲けのために利用されるのであって地球の正義のために利用されるのではないので困ったものなのだ。お釈迦様は、悟空の頭に金環 をはめて悟空の悪事を戒めたが、人間の世界のバイテクハイテクの技術の場合、金環をはめてやれる神様がいません。文明という名の科学技術に正義の金環をか ぶせることのできるのは誰なのでしょうか。
21世紀は世界均一文明・物質的欲望vsエコロジー・自然との共生・心の幸せという構図が描けると思います。
日本農業を守れから世界の家族経営を守れへ
日本に食糧の自給と言う概念が必要なのか。昭和39年頃、私達の町でも、パンの学校給食が始まった。そして、三世帯が住む家が崩壊し核家族化が始まっ た。伊勢神宮さえも、祭りごとの儀式だけが残り、瑞穂の国の農の原点を語り継ぐものは何もない。自分達の食べ物を自給するという事は、日本の文化を大切に するという事ではないでしょうか。教育の場でパンを食う。核家族では食べ方を教える事すら出来ない。困ったときの神頼みさえも出来ない。この国には、農業 を守れないし守る必要もない。そして、日本の農業を守れと声を高くすれば、利する農業は儲かる商業農業をやっている連中だけ。地域に生き、農の文化を大切 にしようとするものは、自分の首をしめるだけです。
新規就農者が、一の企業の新規採用者よりも医者になる数よりも少ない。自給率など考える余地もない現状の世界で、もう、日本では農業問題なんて存在しな いと判断します。食糧安保なんて片腹が痛いです。安い農産物がよければ輸入すれば良いでしょう。もう農家は困りません。農業で食えないなら農業を辞めれば よいのです。農家が農業を辞めても雇用不安は起きないでしょう。もう農家が困り、そのために国家の基盤が不安定になるような農業問題は日本では存在しませ ん。もし農業問題を問うとすれば、それは消費者の生き方の問題です。日本人としての、日本文化の問題です。決して農家の問題ではありません。そのことを認 識すべきです。
農業には人の生きる原点が有ります。子供の頃、大地と共に心を耕さず育ったものは、どんなに優秀な人でも命の尊さが理解できず大人になる危険性を感じます。人類の存亡に不安を感じます。
農のもつ「大地とともに、心を耕せ!」は、人類が営々として未来永劫に至って生きていく、言わば前提条件ではないでしょうか。グッチのバッグを抱えて、 家族ぐるみで安いレストランに行く都市の皆様、たまには高級レストランに行く皆様、いつも高級レストランに言って食事をする皆様。犯罪予備軍を育てている 可能性が高いことを心の隅に持つべきです。安全な食べ物を求めて、日夜奔走する奥様方、そう焦りなさんな。安全な食い物がでに入ったからと言って、長生き 出来るわけではありません。勿論、狂牛病などの危険性を意識しなはるなら、貴方がたの安心できる食べ物はありませんぞ、長生きはするには心の準備が要りま す。そのためには、もう一つ関を越えねばなりません。それは、作る人達との連帯、自然への配慮です。つまり、世界の家族農業を守ることで環境に優しい農業 ができ、そしてそれは地域の文化を食べるという事ではないでしょうか。
真土不二から地域の文化を食えへ
先般モンゴルへ行きました。そこで聞かされたのは、モンゴルでは、野菜を食べると成人病になるのです。なんと奇妙な話しではないでしょうか。でも事実な のです。つまり、何千年もかけ、モンゴルの地で僕民として生きてきた、家畜を丸ごと食べる、一滴の血も無駄にせず食べ尽くす。という生活は、モンゴル独特 の文化を形成しながら、DNAまでも、モンゴルに適合していった。つまり、文化の形成とDNAの変化は密接な関係が有り、何世代もかけてゆっくり変化して いくものではないかと思います。急激に異文化が流入する。そして、急激に食生活が変化していく。そうすると、DNAが対応できず、本来健康であるべき肉体 が蝕まれていく。この事を、明確に物語っていると思います。その際たるものが日本ですではないでしょうか。幸い日本はお金があったため、高額の医療費を払 い、多くの人が、ガン・腎臓病・心臓・脳などの成人病にかかりながらも、病気を抱えながら生きているのです。
健康に生きるという事は、安全で、健康な食べ物を食べているから、成人病にかからないのではなく、日本人として、日本人らしく生きる。地域文化を大切に して地域で出来たものを食べる。つまり、地域文化の変化に合わせて生きていく。DNAの限界を超える、食生活をしないという事です。
1991年9月27日、襲来した台風19号が未曽有の被害をもたらした事はすでにご存じのことと思います。当地方も例に漏れず甚大な被害を受けました。それ以上に甚大な被害を受けたのはカメムシの被害でした。以下カメムシ被害について私の私見を交えてご報告いたします。
カメムシの異常発生の要因は三通りある様に思います。
一つは、暖冬で越冬固体数が多い。
二つは孵化時期の条件がよく孵化率が高くなった。例えば梅雨期に雨が少ない、夏に高温が続くなどの異常気象が孵化率をあげる要因の一つではなかろうか。
三つは、何らかの条件がカメムシと天敵のバランスを崩したためではなないでしょうか。二年連続では異常発生しないと言われるているのに、常識を覆す連続発生で二年続きの半作以下という悲惨な状態になってしまいました。
1991年の大発生は台風が来るまではそんなに深刻になるとは思えませんでした。普段は、雑地や杉、桧山などに住んでいるそうですが、台風で住みかを壊 され、大挙して蜜柑山へ引っ越してきたようです。三つの要因の中で越冬固体数はあまり関係ないように思います。なぜならば、当地区より最低温度が相当低い 地域でもミドリクサカメムシが異常発生をしています。
私は二又は三だと思うのです。この二年色々な害虫が異常発生しています。1990年は、アカダニとサビダニが異常発生したし、1991年はアカダニとカ イガラムシが異常発生しました。勿論無農薬栽培をしている園に発生したのです。私達は18年間有機農業に取り組んできて三年前にはヤノネカイガラムシの天 敵が安定しやっと完全無農薬栽培に移行できると張り切っていた矢先に・・・。
三年前まで、いるにはいるが、経済ベースでは問題なかったダニ、カイガラムシが急に暴れだした。この条件は何なのか、カメムシにも共通すると思うので す。それと、この二年連続台風に見舞われました。この十年あまり、真上を通った台風もありましたが、この二つのような台風らしい台風ではありませんでし た。台風が吹いて、草木を薙ぎ倒すと、居心地の言い住みかを荒らされ、傷ついた蜜柑の木は、カメムシの喜ぶような匂い、物質を出しているのではないでしょ うか。カメムシはこの弱った木に最初にきます。そして仲間を呼び集め、テリトリーを少しずつ広げて何時の間にか園全体に広がって行くのです。いくら追い 払っても新しい場所に集まるのではなく元の場所に戻ってくるのをみると何やら皆を集めるようなフェロモンみたいなものをみかんの木にくっつけているようで す。
カメムシはたいへん運動神経がよく利口な昆虫です。10月7日頃までは、元気よく活発に動くので、強力な殺虫剤をまいても死ぬより逃げるほうが多く三日 もたてば元の木阿弥。私はカメムシの飛ぶ姿を写真に撮ろうとしましたが、飛ぶスピードが早すぎて写りませんでした。農協はカメムシ用の殺虫剤を確保するた めに北海道の農協からも取り寄せたということですから、日本全国カメムシの為にどれだけ多くの殺虫剤が使われたか想像できると思います。一般の農家に言わ せるとカメムシが参るか人間が参るか競争だったそうです。10月7日を過ぎると少し寒くなり、カメムシの動きが少し鈍くなり農薬が効くようになりました。 土地の表面がカメムシの死骸で絨毯を敷き詰めたようになっているのをみたとき、農薬は薬ではなく毒薬なんだと実感しました。
私達は無農薬栽培で頑張っておりますので、ニンニク、木酢、焼酎、石けん、馬酔木の葉、効きそうな民間療法はほとんど試しました。3日に1回程散布する のですが、やってもやってもカメムシは増える一方です。ついに、「カメムシ様降参です。コンピューターや超伝導が云々されている時代に、あなたは科学より 偉い。どうぞ好きな用に暴れてください。」という事になった。
結局無農薬で頑張ったの4、5軒の農家だけとなり収量は平年の2割作と何とも惨めな結果となりました。1990年の異常発生は温州蜜柑だけでしたが、 1991年のときは、伊予柑、ポンカンなど晩柑類も軒並みやられ、無茶々園として、今後カメムシ対策をどうすれば良いかお先真っ暗です。それにしても、も う一歩で完全無農薬栽培が可能という時点で、カメムシという今までもいながらたいした害虫ではなかった虫が、突然柑橘に壊滅的打撃を与える害虫となった。 なぜカメムシは突然強烈な害虫に変身したのか??
一個の蜜柑に、10匹も、20匹も群がっているカメムシを見ていると、カメムシも学習して進化しているように思える。人の科学が人為的に遺伝子の組み替 えも出来るほど進歩したというけれど、どうも、サイバネーション化が進むばかりで、ちょっと道を間違えると人類は元より、緑の地球をも破壊しかねないとい う危機を感じるのは私の入らぬ気苦労か。
「朝立ち、夕立知ってますか? 人類は木を切りすぎ、鉱物 資源を使いすぎ、科学合成物質を使いすぎました。その結果、温暖化・異常気象の日常化が起こきました。今の子供達は、夕立を見たことがないのでは・・・。 化学汚染も遺伝子レベルにまで深刻化しています。貴方の子供達は朝立ちをしていますか・・・。そして、佐渡の朱鷺のように人類は滅びるのです。」
昨年(1991年)の台風19号被害は収穫シーズンだと言うのに蜜柑山では人影がまばらで、偶然台風の被害を受けなかった農家は、悪い事をしているよう に、こそっと収穫している状態でした。そんな中で、ちっとは気合いを入れなければと肉体にエナジーのアルコールを注ぎ込むのですが、今一エンジンがかかり ません。そんな時、皆様から過分なる御見舞い金、又、心暖まるご支援をいただき、無茶々園会員一同心より感謝をいたすところであります。
今回の台風は、風力もさる事ながら当地においては、雨が降らなかったため、吹き上げられた潮の塩害による被害が甚大だったのです。軒並み落葉してしま い、晩秋の実だけになった柿の木のように。勿論、蜜柑の場合、実は緑色ですが・・・。おまけに、カメ虫が一昨年に続き異常発生し、伊予柑やポンカンまでも やられてしまいました。バイオや超伝導、コンピューターの時代にたかがカメ虫ごときにギブアップしなければならないなんて、人間の科学文明なんて蚤の糞み たいなもんですね。もっとも、カメ虫の異常発生は、暖冬と言う異常気象のせいだと確信しているのですが・・・。異常気象は環境破壊が原因です。環境保護と 安全な食物とは表裏一体の物です。今までは殆ど害虫でなかったカメ虫の為に日本全国どれだけ農薬を使ったことか(カメ虫は殆どの農作物にいます。)。結 局、最後まで無農薬で通した農家は二割前後の収獲と壊滅的打撃でありました。
困った困ったと嘆いていても情勢は前向きには進みません。男一匹金玉がつぶれるまでは夢と希望を捨ててはいけない。愛する母ちゃんや子供達が迷うだけ だ。と、ボロ頭を突き合わせて無茶々の里再生の知恵を搾りだしているところであります。今になってみると、ボロ頭もみんなが突き合わせてみるとまんざら捨 てたものではありません。自分だけでは決心できなかった園の改植も、助かる木じゃないから諦めて植え換えよ、と皆に言われるとその気になって、ほんじゃ思 い切って切ろうかと言うことになります。果実がなるまでどうするか、天災融資法激甚地指定を受けたのだから金のないものは大蔵省から借りればいい、払えな ければ夜逃げをするだけだ、それが嫌なら稼ぐしかない。海へ行けばひじきや貝魚がいる。山へ行けば、竹も木も生えている。苗を植えた蜜柑畑には隙間がある からそこへ大根でも豆でも植えればなんとか生きていけるだろう。我々にはそれを食ったり使ったり支援してくれる消費者の皆さんがいっぱいいるじゃないか! そんな感じでみんな又ごそごそ動きだし始めました。どうか今年も昨年以上のご指導ご鞭撻のほど何卒宜しくお願いいたします。この度は本当にありがとうごさ いました。
1992年1月1日