片山元治、ウチの親分、どんぐり目玉に金歯がキラリ。
はじめて会った人は「なぜ、そんな事を一所懸命に話すのだろう」と感じてしまう。
たとえば水、地域、学校、石、百姓の暮らし、食べもの、老い、モノ作り、就農、そして農業。
生業の農業を継いだばかりの若い頃に地域の仲間とともに無茶々園を立ち上げる。
無茶々のことならどこにでも出かけていくエネルギー。いろんなコトに興味を持ち実行してしまう。
コツコツやるのは得意ではなく、新しいコトに興味が移ると後片付けは周りの者に。
一番辛抱強かったのはやっぱり奥さんの恵子さん。でもそのバイタリティは人を惹きつける魅力が充分。
「元が言うんやったら」と農家もスタッフも振り回されながら40年が経ちました。
人類は、より便利な生活、物質的欲望を充たす為に、科学の発展こそが人類に豊な生活をもたらすと妄信し、ハイテク技術を駆使して、いろいろな道具、資材 等を、作り出してきた。
その結果、いたるところで公害が発生し、汚染が進み、オゾン層まで破壊され、温暖化、砂漠化で、異常気象が世界のあちこちで毎年の ように発生している。
当然豊かになるはずの生活は、サイバネーション化が進み、会話の出来ないお宅族を生み出し、学歴社会の中でいじめ、登校拒否、が深刻 化したり、ガン、アレルギー、エイズ等、新たな文明病とも言える難病が多発し便利さと引き替えに人間としての大切なものを失いつつあるように感じてならない。
また、プルトニウムも含めて核の廃棄物は未来永劫に至って深刻な問題となりつつある。
科学の進歩とは結局、一定時間のエネルギーの消費量が多くなるだけのことのような気がする。
そして、エネルギーの消費は、田舎より都市、南の国より北の国、貧乏人より金持ちに集中している。
今や、エネルギーの浪費をコントロールしなければならない時代になり、また、このエネルギーを、田舎が、南の国が、 貧乏人が、奪い取らなければならない時が来た。
この懸け外のない緑の地球を子々孫々に至まで守り続ける為に・・・。
我々は、一部の人間に集中した富みを奪い返すための、企業戦争の中に身を委ねる。
田舎本社で、都市収奪企業を設立し利潤を 追って果敢に企業経営に挑戦しなければならない。
やばくなれば、田舎へ帰って外堀が冷めるまで冬眠すればいい。
そして、世界中の田舎に都市に支配されないエコロジーな田舎を作ろう。
予てより、柑橘の祖、田道間守公に会ってみたいと思っていた。
彼は、紀の国屋文座ヱ門が蜜柑を積んで、江戸へ向かって出航した地に祀られていた。
この神 社は、蜜柑の神様より、お菓子の神様として栄えていた。
神主の話によると、彼の先祖は朝鮮の人で柑橘やお菓子の祖だけでなく文化の祖でもあると聞き驚く。
彼は、大陸の文化を日本に伝える仕事をしていたのだろうか。
ある日、垂仁天皇から不老長寿の霊果を探してくる命を受け常世国(とこよのくに)に渡り、10 余年の辛苦の末、持って帰ったのが非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)[橘]だった。
つまり、橘は不老長寿の木の実で菓子だったのである。
これを探して世 界を歩き、新しい文化も伝えた(文化勲章の図柄は橘である)という事であろう。
まさに無茶々園の師として祀るに最高の人物だと思います。
日本は、神様や仏 様がいっぱいおります。偉い人は皆神様になれます。
今後、無茶々園に多大の尽力を尽くしてくれた人、世界のエコロジーや、自然保護、田舎の為に努力された 人を客人神社に祀り、彼らの波動を集め、元気の出るドラゴンボールを作り、緑の地球を守るために使いたいと思います。時々思うことに、ソ連が解体していったのは運動に宗教性が無かったためではないかと・・・。
凡人はいつの時代になっても、緩やかな宗教性があるほうが面白いと思う。
紀州蜜柑を江戸の人達は、不老長寿の霊果として先を争って食べたに違いない。
今の蜜柑は不老長寿の蜜柑といえるか・・・。
有機無農薬栽培の無茶々園蜜柑 はまさに不老長寿の霊果といえよう。
我々はこの貴重な原料を使って、今後いろいろなデザ-トを作りたい。
これに山羊乳を加えると数えきれないほどのオリジ ナルなデザートができるはずである。
この2年間に10種類以上の商品を開発したい。
またこれと合わせて農水産物の惣菜の加工も手懸けてみたい。開発は、地 域加工業者との共同でやる計画です。
農業が自由化したという事は、産地間競争の時代でなく産地、農家間提携の時代が来たということで、つまり、我々の敵は、世界の大規模企業農業であり大手 商社で、それに迎合するエコロジーに理解のない都市消費者あることを認識しなければならない。しかし、農協は少なくとも今後10年以上、農家の経営、生活 向上、田舎の再建のためには戦力とならないだろう。何故ならば、農協はいままで行政との癒着のなかで体質の改善を怠ってきたため、経済の国際化、自由化の 中で、運動論も含めた思い切った改造をしなければ農家の為どころか自らも生き残れない局面にたたされているのである。農協理事者の保守性も含めて、農家の 役に立つ農協に再生するには、年月が必要。
従って、農協が国際競争に対応できる組織に変革できるまでは、農家は農協と違った小回りが利きゲリラ戦の出来る新たな組織が必要になるであろう(農事組 合や出荷組合など)。無茶々園は、それを先取りした組織である。多くの農業評論家に言わすれば、自由化によって南予の柑橘農業は近い将来壊滅する公算が大 と言う。たしかに蜜柑の必要量が100万トン時代が来て、アメリカ、オ-ストラリア、中国などで日本人の好みにあったマンダリンが、育種、栽培されるよう になれば、麦が大豆がレモンが日本の畑で作らなくなたように、日本の柑橘農業が壊滅する事態も予想される。いや、そんなことより、蜜柑と競合する新しいタ イプの柑橘、その他の果物、若しくは菓子等の新商品がブ-ムとして広まり、それが、1年でも2年でも蜜柑価格を暴落さしたとすれば、蜜柑専業農家にとって 深刻な事態となる。かかる事態を乗り越えるためには、無茶々園にしかできない蜜柑を作りより密なる販売物流網を築くと言うことが第一であることは歴史的事 実だが、それだけでは過疎を乗り越え21世紀を展望できない。
価格の暴落が何年か続いたとしてもびくともしない補完産業の育成が急務である。かって我が先人達は町外へ出ていき、反物を売ったり、お客事の料理人をし たりして生活を補ってきた時代もある。つまり、柑橘農業の補完は、農業にこだわる必要はなく、都市から田舎にお金が流れてくる道を作ることである。
1991年の9月の台風で、未曽有の大災害を受けた無茶々の里のですが、この18年間は、一応無茶々園が田舎で市民権を得る為の段階をであった。そして今、壮大なる夢実現の為、第二段階の新たなる展開のビジョンを提示したいと思います。
宇和海は日本一の真珠の産地です。真珠等の宝石、貴金属は金持ちの贅沢品です。大なり小なり環境破壊に加担したり、南の国から、田舎から、貧乏人から収 奪した金です。この金の流れを無茶々園に向けたいのです。5年計画で地元の真珠生産者に協力してもらい加工、販売の体制を作りたいと思います。この利益で 世界の田舎のネットワークを作りたいと思います。
無茶々園も有機農業を初めて18年が過ぎました。発足当初から、私達は、単に有機農業で蜜柑を作るだけが、目的ではありませんでした。無茶々の里でしか 味わえない田舎暮しのできる町作りが夢でした。そのためには出来るだけ環境破壊を伴わない産業の育成が必要です。私達の町は平地が殆どない、山と、海と、 段畑の地形で、都市型の産業を導入しようにも不可能な地帯です。陸の部分では最近の異常気象で100%完全無茶々園農薬有機栽培とまではいかないにして も、無茶々式有機栽培が認められ、町営の加工場で、無茶々園のジュース、マーマレード等が作られるようにまでなりました。海の部分では、チリメンジャコ (シラス)、真珠が主体です。チリメンジャコは既に取り扱いをはじめています。
この度、真珠も取り扱ってみようということになりました。今、真珠の生産は、三重の英虞湾を抜いて宇和海がトップです。しかし、宇和海の真珠は、今から 30年程前、漁師が業者から生産技術をならい始めたもので、一次加工が難しくしかも大手業者のシークレット技術であったため、生産はしても、加工販売は大 手業者の手に委ねられておりましたが、真珠生産組合と県の工業試験場の研究で、生産から加工まで生産者(漁業者)サイドで出来るようになりました。我が 町、明浜町は単純に計算して、50年後には人口0人となる過疎の町です。そこで私達は、生産者、真珠組合、明浜町古里創世館と協力して、「真珠で村興し」 を夢見て、真珠の販売に挑戦することになりました。
私達は、近い将来、都市のエコロジーを理解してくれるデザイナーや、地質学者、趣味の会の人達と貴金属宝石類の生産加工販売のワーカーズコレクティブを作りたいと思っています。
南アフリカの人種差別を見たり聞いたりすると、南アフリカに金やダイヤモンドが出なかったら、人種差別が今まで続いていたであろうか?...と思う。例 え、金やダイアモンドが出たとしても、この鉱山のオーナーが黒人ならば...。貴金属宝石類は一部金持ち世界の贅沢産業です。私達は生産、販売、消費が金 持ちの世界だけ回っているこの贅沢産業の金の流れを、田舎や南の国に流れる様にしたいのです。
砂浜で見つけた貝殻が時として宝物のように見えるように、山を掘らなくても、近くの河原や道端に研けば宝石になる石が転がっているところは世界の田舎に はいっぱいあると思うのです。その田舎がサイドビジネスにダイアモンドを研いて売り出したとしたら世界はどうなるでしょうか?これは夢物語かも知れません。
しかし、無茶々の里に真珠が出来る以上、我が田舎に平和な「ジパング」の世界を夢見て見たい。そしてこの夢を世界の田舎に届けたい。無茶々園のロマンに皆様の暖かいご支援をお願いします。
≪集落を中心とした町作り≫
ソ連が崩壊し、世界の経済の自由化・国際化が進む中で、米さえもなしくずし的自由化が始まった。そして、企業の農業投資も含めて国際競争力を持った農業 に規模拡大するか、エコロジーなライフスタイルを楽しむ有機農業の方向に進むか、離農するかの選択が求められている。我々は今まで、町内一円の無茶々園化 を目標としてきた。そして、有機農業を通して故郷の活性化を目標としてきた。しかし、既存の農法を否定するため、理解の出来ない農家をアンチ無茶々園派に させたのも事実である。
今、南予の段畑農業が国際競争に生き抜くには、規模拡大、合理化、農法の問題よりも、田舎の活性化ビジョンが先に必要で、それは、町単位より集落単位で 進めることが必要であることに気が付いた。町は行政の単位だが、集落は仕事、生活、習慣等が緩やかに交わった運命共同体である。この運命協同体が機能しな くなれば町作りもムラお越しもない、自然と死に体化していく。規模拡大、農作業の合理化が稲作みたいに進まない段畑農業は、金はなくても自然の中で楽しく 生きていける生き方、そんな集落の活性化こそが町作りの基本だと思う。また、運命協同体が機能するということは、子供も、年寄も皆の宝という意識の再編が 必要今後、無茶々園の運動が、集落にどのように取り入れられていくか、ゆっくりゆっくり焦らずに進めなければならない。
≪法人化の推進(5人組制)≫
農業の国際競争が激化する中で農協が地域主義を捨てスリムになろうとしている。果たして信用事業が都市銀行並みに 購買、販売事業が大手商事会社、スーパーのように事業展開が出来るようになるのであろうか・・・?
農協合併が進む中で農家の農協との関わりは、[我々の農協]から[利用できる部分は利用する農協]に方向を変えなければならないであろう。そして、情報 が氾濫し、しかも進化していく中で生産、販売、経営、生活すべての面で自分たちにあった情報を自分達で選び自分達で組み立て直し使っていかなければならな い。農協の営農指導を受けながら個人経営をする時代ではなくなった。10ha、3~5戸程度の気の合った農家が緩やかな法人化をして合理化できるところ、 共同化できるところから経営の改善をしていく必要があると思う。そしてこれが連合会社として労働、経営、生活までの改善に早く着手しなければ蜜柑産地は生 き残らないだろう。
≪日曜日の休日化≫
今までのような晴耕雨読では後継者は育たない。とりわけ、休日、休暇の設定が必要。しかし、お金を浪費する休日であってはならない。価値観を変え、竹の 子掘り、茸取り、魚とり、炭焼きなどが出来るように、休日を、家族、友達、集落で考える。旅行御講組を作って長期研修旅行に行けるのも農業の特権。