片山元治、ウチの親分、どんぐり目玉に金歯がキラリ。
はじめて会った人は「なぜ、そんな事を一所懸命に話すのだろう」と感じてしまう。
たとえば水、地域、学校、石、百姓の暮らし、食べもの、老い、モノ作り、就農、そして農業。
生業の農業を継いだばかりの若い頃に地域の仲間とともに無茶々園を立ち上げる。
無茶々のことならどこにでも出かけていくエネルギー。いろんなコトに興味を持ち実行してしまう。
コツコツやるのは得意ではなく、新しいコトに興味が移ると後片付けは周りの者に。
一番辛抱強かったのはやっぱり奥さんの恵子さん。でもそのバイタリティは人を惹きつける魅力が充分。
「元が言うんやったら」と農家もスタッフも振り回されながら40年が経ちました。
太陽の下でまともな農業をやるには、緑の地球を守らねばならない。その為には、都市を包囲する世界の田舎のネットワークが必要。弱小な我々には当分2、3の国の特定の場所に絞り交流を深める。
無茶々園の国際交流 「世界八八ヵ所田舎同盟を目指して!!」
中国・韓国・タイ・ミャンマー・ネパール・インド・バングラ・フィリッピン・アメリカ・ブラジル・カナダ・ペルー・イギリス・イタリア・スペイン・フラ ンス・ドイツ・ノルウェー・ジプチ・ゼネガル・ガーナ他にもまだかなりの国があると思うが思い出せない。よくもまあこんなに黒くピカピカ光る人がおんなさ るもんだと感心したこともある。我が無茶々の里を訪れた外国人は100人どころではない。生まれて初めて手の届く近さで、マジマジと見入った私のおっかさ んは、「こんな毛唐を連れてきおって」とおどおどしていたが、今じゃ「お前のへたくそなイングリッシュよりワシのボディーラングェッジの方がしっかりわか ちょるわい」といって、結構楽しく付き合っている。
「戸締まり用心火の用心」「人類皆兄弟」という、どこかのテレビのコマーシャルがあった。どうも、都市の人は、「人類皆兄弟」と言いながら、「戸締まり の用心」をするようだ。やっぱり、田舎人同志の付き合いはいい。戸締まりなど必要がない。裸の心を開いてアルコールを入れれば、「人類皆兄弟」実に、楽し いものだ。
我が明浜町には、明浜町青年海外派遣協会なる組織があり、すでに数十名の研修生を海外に派遣しています。私も6年前に小学校6年生の息子と2人で40日 間の太平洋一周の精貧旅行に行かせてもらいました。戒厳令下のタイ国をはじめ、命懸けの親子の旅は、当世流行の親子の断絶を解消し、美しい親子の愛を育み ました。その時、身に染みて感じたことは、日本と南の国とではお金の価値と、労賃の違いがひど過ぎるほど違っていたことです。10分の1から30分の1と いったところです。そして、どこの国にも共通して言えることは田舎の過疎化です。人々はお金を求めて故郷を捨て流浪の民となって都市へ流れるのです。日本 も含め、世界中が、国家経済の発展過程で起きる共通問題だと思われます。
私達無茶々園は、町作りの運動体と自負致しております。ただ、イヴェントや、人の集まる施設を作り、お金を落とさせる町作りはちっと虚しすぎると思いま す。少しのお金と引き替えに、たくさんのゴミと汚された自然。そして、お金に惑わされる心だけが残ります。私達の町作りは故郷の再生です。ここに生まれ育 ちそして大地に帰る。この生き方に胸を張れる心の充実した集落作りです。つまり、資本主義経済に巻き込まれてしまうのではなく一定の距離を保って、非営 利、共同の地域社会資本の充実による地域社会作りです。当面の課題が、農業の集落企業化と仕事の創造、高齢者の集落介護等の問題です。
今まで多くの外国人が無茶々園を訪れ交流を深めました。町内の多くの若者があちこちのお国で迷惑をバラ播いてきました。もうそろそろ、野次馬的交流を卒 業して、一定の目的を持った交流をしようと思うようになりました。都市を介せず、世界中の田舎が有機農業を中心にお互い助け合いながら自然を大切に、自分 たちのムラを守っていこうと言う、「世界八八ヵ所田舎同盟」を思いつきました。今から100年かけて88ヵ国の特定の田舎と交流を深め同盟を結んでいきた いと考えています。
その第1号としてフィジーのサナサナ部落とコリカタ部落にしました。取り敢えず二人の若者を招待することにしました。彼らの村は、電気もガスもなく食物 は作るというより出来るといった方がいい、砂糖キビが換金作物の酒を飲む習慣のない村です。ところが、文明文化の情報は、世界の津々浦々迄行き届いている らしく、文明の利器に対する願望は非常に強く、この辺から集落社会の崩壊が何となく見えてきます。
まさに日本の田舎が辿ってきた道を今、歩もうとしています。原始集落協同体をなんとか無茶々園の目指すような地域社会協同組合に軟着陸できないか、そのお手伝いが出来ればいいのになあと思っています。
今回、二人のフィジーの若者を招待しました。彼らが来てもう1ヵ月が過ぎました。食物や習慣が違っても若者の順応性には驚くものがあります。我が家の蜜 柑山で農作業を皆でやりながら、日本語を憶え、農業の夢を語り、生活のことを話し、ワイワイガヤガヤやっていると一日がゆったり過ぎ、充実した日が過ごせ ます。その中で、無茶々の里の、冠婚葬祭等の行事に触れ、地域で胸を張って生きている姿を彼らが理解できれば初期の目的は達成できると思うのです。そし て、互いの交流が進めば物流が起き、商流となって行くと思うのです。農業、地域社会を中心とした商流が起きれば永続的地域社会の確立が進むものと確信して おります。
しかしながら、一つだけ問題があります。滞在許可証の問題です。不法滞在者が後を絶たない現在、滞在許認可が難しい問題であることは理解できます。しか し、農業、田舎の生活は四季を通じて一年がサイクルです。三ヵ月では少なすぎます。一年間の滞在許可がほしいです。
私達は、民間ボランティア活動の一環として民間にしか出来ない国際田舎間交流をしたいと思っています。国際交流をしている自治体は近くにもあります。 年々交流が派手になり、費用がかかり過ぎて悩んでいるようです。私達は主体はあくまで民間で、自治体が後援するという形をとり、清楚で実りのある交流をし たいと思っています。
最後に、労働の問題です。労働するとお金がもらえるもので、いつの間にか、お金を得るために労働するようになりました。かって、家族は、親父の仕事、母 親の仕事、子供の仕事、集落の仕事等、皆それぞれの仕事をして家族が成り立っていました。これを共同労働というそうです。
労働とは、生きていくための行為であると同時に、人生教育、社会教育の場であり、生きる喜びの場であり、奉仕の場でもあります。お金だけに変えられない 多様な価値がある労働、それが、協同労働なのです。地域社会で生活する、仕事をする、それは、協同労働でなければなりません。
21世紀に生きていける田舎は、高齢者問題も含めて、多様な価値を持った協同労働を如何にきっちりと組み立てていけるかにかかっています。
・「有機農業」は、日本では農林水産省の定める新JAS法の規定に従って栽培され、所定の認証団体に認証されてはじめて有機農産物として認知される。認知されたもの以外、有機栽培農産物とか有機農業農産物とか使ってはならない
・生産者は所定の認証団体に生産管理責任者としての教育、試験を受け、合格する事が必要がある。
・生産責任者は生産工程の管理を所定の方法で記帳しいつでも提示出来るようにしておかねばならない
・例え自然のものであっても、国、認証団体がダメとの判断があれば使用できない。
・日本では、畜産の有機認証制度が出来ていないので畜産物は「有機」を称することが出来ない。
上記の内容は国際有機農業運動連盟(IFOM)の趣旨にそって管理されており、どの国にも法整備ができれば認知されるシステムになっている。私がキュー バでドイツの認証団体が認証をした砂糖きび畑を見た。キューバでは有機農業の法整備は出来ていないと思われる。
従って指摘された本を私は読む気がしないから読まないが、キューバで有機農業が盛んだなんて日本語で書くのであれば、認証されている「有機農業」で農産 物をどの程度作っているのか確認してほしい。経済封鎖されて、必死に農業をやっている人達の信条を、有機農業と言う先進国の遊び用語で紹介する事に疑問を 感じるのです。
私は新JAS法が制定されて、有機農業と言う言葉を使うのが嫌になってきております。
徹底的な生産工程の管理能力、農薬・化学肥料に対する知識力、流通に対する知識・感性、他人にアピール出来る弁論術等の能力がなければやっていけない。 普通の農家はこんな事出来ません。字の読めない農家はどうなるのでしょうか。先進国の趣味の農法だと言う事がわかりました。このようにして出来た有機農産 物は、少なくとも金持ちしか買うことは出来ないでしょう。
新JAS法では、環境に配慮する項目は抜けています。つまり、循環型、環境保全、低エントロピー等の自然への配慮は除外され、食べる人間だけが安全であ れば良い思想です。確かに農薬や化学肥料は3年間以上使われないのが前提ですが、許可のある農薬なら何回使っても良い。堆肥や肥料も使ってよいものなら何 処からでもどれだけでもいれて良いのです。
忌避材ならまだしも、農薬は生き物を殺す為に作られた物です。使えば必ず何かが死にます。その農薬を有機の許可農薬であっても、なるべく使わないと言う思想が新JAS法には無いです。
農業の基本は、大地と共に心を耕し、全ての生き物と共に生きる事です。そして、生きる為に生き物を殺して食べるのです。「殺す」事が、良心の呵責であ り、その事が自然の恵みへの感謝の念に代わらなければなりません。有機農業は命のやり取りが本当に大切なのに、あまりにも商業的過ぎます。
有機農業規定は、アメリカの砂漠化しつつある地域で、高度の灌漑施設が完備し、病害虫の密度が高くなると砂漠に戻し、下がると作り、それを多国的に販売する戦略上使われる道具にしかなりえない気がします。
つい4、5年前は市場に出回る農産物の6割以上に有機農業のラべルが貼ってありました。新JAS法が定義されたら、日本で有機農業で栽培されている農産物は0.1%に満たなくなりました。
0.1%に満たない農業で、おら達は有機農業をやっているんだと叫んでも空しい気がします。0.1%以下ではお天気も、汚染も何も変わりません。
大量に使われる農薬・除草剤・化学肥料の総量規制こそが今、自分達の運動ではないかと思うようになって来ました。その点、ISO14001で生産行程を 管理する方が理にかなっていると思います。ISO14001で圃場を管理するという事は、事実を公表し、環境に配慮する努力を評価するシステムだからで す。しかしながら、これも農家がついてくるには難しすぎます。
もともと農家は農薬も化成肥料も知らなかった。町の人間が作って売りに来て、良く効くから使っただけです。農家は毒とは思ってない。農の薬と思っている。
農家は裁培技術の勉強はやりたい。言われなくても勉強する。しかし、農薬が毒か薬かまで勉強しなければなりませんか。となると、農家はみんな大学まで 行って化学を勉強した人しかできなくなる。農薬を使ってできたものは消費者は食べるべきです。食べたくないなら、毒を作らせるないでください、売らせるな いで下さい。農家はなければ使わない。結局、毒は、貧乏人が使って貧乏人が食べなければならない仕組みになっている。
「地球の進化は文明の発展ではなく、生物の多様性だと思います。多様な生命体の共存だと思います。生物の種が単純化するようになれば、宇宙船地球号は進化から滅亡に向うといえるのではないでしょうか。文明の後遺症である、温暖化、砂漠化、異常気象、環境ホルモン等による種の単純化が始まったように思われます。」
(1)食べ物の循環を考える
かつて、農薬も化学肥料も無い時代に世界で一番大きかった都市は江戸で人口約50万だったと言う話しを聞いた事が有ります。その最大の要因は、人の出す糞尿のリサイクルがうまく出来ていたからだと聞きました。
私も、エントロピーを最大限下げながら化学肥料も農薬も使わず、大都市の人口を維持するならば、人糞尿を有効に使う以外に無いと確信しています。エネル ギーをかけて浄化するのは間違っていると思います。しかしながら、現状の常識では、キューバも人の糞尿を有効に利用する事は無理だと思います。近代都市に おける、残飯、食品工業残さ等のリサイクルは、高度のリサイクル施設のほかに、高度の知識集団、高度の検査体制が必要です。ハバナは一応近代化された都市 です。中途半端なリサイクルは貧乏人を犠牲にするだけです。
残飯をリサイクルさせるには堆肥化する施設が要ります。その前にゴミの分別が大切です。プラスチックや化学物質が多くなっている現状の中で、分別出来る ようになるには相当の都市住民の教育が必要です。それが出来なければ畑に入れるのは危険です。化学的に汚染された農地は二度と戻りません。農村が近く、リ アカーや、馬車で運べるのなら、個人でも集めれましょうが、都市が大きくなって、リアカーや、馬車で運べなくなり、車になると個人レベルでやれなくなり、 国が補助しない限り残飯のリサイクルはコスト的に動かないでしょう。
家畜の糞の必要量を考えると、100haの畑に、生糞を4トン程度入れるとして、8~10万羽の鶏が必要になります。醗酵させ、完熟堆肥にするとすれ ば、その倍以上の鶏糞が必要になります。養分の一番多い鶏の計算ですから、豚、牛になるともっと必要になるのではないでしょうか。キューバの砂糖きび畑に 十分な堆肥を入れるとすれば鶏を何匹飼わなければならないか。これらの、家畜を飼うには彼らの体重と比べて、8倍以上の飼料が必要になります。その為にど れだけトウモロコシを作らねばならないか。そのトウモロコシ畑にいれる鶏糞を作るためにもっと飼わなければならない。牛は年中放牧をしています。放牧場の 糞をいちいち集める事は不可能ですから堆肥にはならないでしょう。後進国において、少なくとも畜産商品が国外に売れない限り、大量に家畜を飼うと言う事は 不可能です。また、自給以外に農作物を売るのなら化成肥料が必要になります。
農家には、それぞれの家で、豚、トリなどは放し飼いで少量づつ飼っております。餌を節約する為放し飼いにするのです。高たんぱくな餌を与えない為、あま り臭くはありません。この家畜の糞が、3a程度の個人栽培、自給農場の大切な肥料源です。化学肥料が無いキューバはこれが最大の肥料源でしょう。この肥料 源は自給用に使うなら十分の肥料。この肥料で販売作物を作ったなら、自給が出来なくなる程度の肥料です。つまり、キューバでも、何処でも農家には自給出来 る仕組みがあります。その仕組みに売らなければならない経済栽培が入ってくると、どうなるかはどの国も似たような物です。
(2) 農薬を必要としない農産物の育種が必要
日本で、0.1%しか有機農業が出来ない最大の要因は、育種が、美味しくて量の取れるもの、農薬を使っても良いものという条件で開発されたためです。その品種を使っての有機栽培は基本的に無理があるのです。
それでは在来種のものをと言う事になりますと、栽培地域が限定されたり、生産量も落ちます。
遺伝子組換えでない、有機農業向きの品種の開発が必要です。有機栽培用の品種が開発されない限り、農家は栽培皆無のリスクを抱えて栽培しなければなりません。貧しければ貧しい程、農薬からの開放は不可能です。
(3) 非農家の環境意識や農業に対する理解が必要
環境に優しい農業をやって行く為には、消費者との相互理解が必要です。都市の生活者が、環境に理解がなければ前に進みません。生協のような仕組みも必要です。
(1)砂糖きび畑
子供の頃、砂糖はキューバと社会課の時間に習った。実際、見渡す限り砂糖きび畑が続いていた。
しかし、どの砂糖きびも緑色でなく黄色で今にも枯れそうです。
認証の畑を見に行った。この畑も黄色です。冗談じゃない。名門キューバの砂糖きび畑が泣いているぞ!
この畑を認証して、買う奴はドイツダ、ドイツ か?冗談じゃない、キューバの弱みにつけ込んで認証しやがって、と感じたのは私だけだったのでしょうか。
こんな砂糖きび畑の砂糖なら、コストはかかるし、2級品3級品の砂糖しか出来ないはずです。
どの畑も、農薬も肥料も入れてないのですから、認証しようとすれば可能です。
十分に堆肥が行き届いていて、 立派な砂糖きび畑なら認証すべきですが、ホネカワスジエモンの砂糖きび畑を認証してどうなるのでしょうか。
有機農業よりも、この畑に硫安や尿素をやってで も名門キューバの砂糖きび畑を再生することが先だと感じました。
キューバの砂糖きびは高度化成肥料を少しやれば、農薬なしで一級品の砂糖が取れます。
砂糖は日本で作るには農薬が必要なようです。困っているのならなぜ化成肥料を送ってあげないのでしょうか。日本で作るよりかはるかに安心な砂糖ができま す。日本から砂糖農家がいなくなってもたいした問題ではありません。グローバル化の時代です。砂糖ぐらい何処かの国に命がけでお願いするくらいの国際交流 が必要ではないでしょうか。
国際間では、人殺しの兵器が公然と自由に売買されているのが事実です。化成肥料を調達するぐらい簡単な事と思います。一級品の砂糖を作らなければ、名門 キューバの砂糖は国際的に復活しません。アメリカに経済封鎖され、売り先が無いなら市民の力で、市民貿易をやることです。キューバ国内に沢山ある工場のう ち、一工場でも良い砂糖を生産出来るようになればキューバ砂糖の復興の起爆剤になると思います。とにかく砂糖を買う仕組みが要ります。
(2)果樹園視察
キューバにも沢山なオレンジ畑があるようです。道すがら、延々と続くオレンジ畑を見ました。しかし、どの木もなにかしら弱りきった感じで、これはなんだろうかと危機感を持って窓から見ていました。
事務所につき、園地を見せてもらい、訳がわかりました。バイラスによる台木不親和を起こしているのです。どの園も生産性は30%以下になっていると思わ れます。このままでは、キューバのオレンジ園は壊滅するでしょう。農薬問題は別として、ホテルで飲んだ絞り立てのオレンジジュースは本当に美味しかったで す。こんな深刻な状態のオレンジ畑を見て、私達は何をすれば良いのでしょうか。一民間人ではどうしようもない、とてつもない現状を見てしました。同じミカ ン農家として恥ずかしい限りです。
グレープフルーツの畑を見せてもらいました。農薬も除草剤も最小限に押さえていると言ってました。オレンジと比べ樹勢が良く少しはほっとしました。それ でも、所々に萎縮病の出ている枝を見ました。黒点病、カイガラムシ、ダニ、いろいろ日本と似たような熱帯性の病害虫がイッパイいる事もわかりました。 キューバの柑橘は農薬ナシでは経済栽培にはならないでしょう。私の30年のミカン栽培の経験と、熱い国を旅した経験です。
選果場を見せてもらいました。日本の選果場とほぼ同じです。日本の選果場は、年取った婆ちゃんがほとんどです。キューバでは、スポットライトに照らされ てサンバを踊っていたような姉ちゃん達が、選果作業をやっておりました。選果ラインが2本あって、一方はヨーロッパ行き、一方は日本行きだそうです。ヨー ロッパ行きは防腐剤シャワーラインが付いています。彼女達は、防腐剤がついてベトベトしているオレンジを、素手で持って選果をしていました。日本行きのラ インにオレンジが流れると、多分そのまま選果ラインに並んで素手で選果をするのでしょう。彼女達は農薬の毒性を知らされてないのか、知っていても危機感が ないのか。工場の責任者は農薬の毒性の教育を受けているのか。日本なら、賠償問題になるのではないでしょうか。ここでも無知の怖さを知らされました。
(3)野菜畑視察
野菜畑も見せてもらう機会がありました。キューバも社会主義の国ですから、中国やベトナムと同様、自分で自由に耕作して良い小さな畑があるものと思われ ます。そこで自分のところの食べ物を自給しているのだと思います。自由市場には野菜や果物が並んでありました。ハバナは都市ですから、高級スーパーもあり ます。自給用野菜畑で作ったものを、売れる物ですから売り始めた。何時の間にか自給用の畑が販売用の畑に変わっていた。しかしキューバは社会主義の国です から、儲かるからと言って面積を自由に拡張させるわけにも行かない。これが現状だと考えられます。
キューバはブラジルのように主食が豆だそうです。これは理にかなっています。しかしながら、食文化の歴史は浅く、ヨーロッパ系だと思います。ほとんどの 栽培品目は国外から持ちこんだもので、キューバ古来の食べ物は少ないのではないかと思います。それ以上に、情報が発達するとキューバ的食生活が世界の大都 市風になり、キューバでは育ちにくい野菜の生産が要求されるようになります。
個々の農家では自給用に豚や鶏を飼っています。飼い方は、出来るだけ餌をやらなくて良いように、放し飼い等で飼っています。そして、その何がしかの畜糞 が自給農場の肥料です。貨幣経済でなければ実にうまく回っていました。農業公社か合作社かは知りませんが、砂糖きびやオレンジ等輸出農業がうまく回ってい れば、現金はそこで働いて手に入れる。自給農場で、豊かな食生活と言う事になります。ところが、私の見た範囲では輸出産業がうまく回っていない。そのた め、自給農場が現金収入の場となってくる。自給農場の仕組みが崩れるのは非常に簡単です。販売する作物を作るから肥料が足りなくなる。難しい作物を作るか ら農薬がいる。
大雑把に言って、古来のもの、熱帯系のものは、放任やチョットした手入れで栽培可能ですが、そんな物は何処にでもあるので作っても儲からない。儲かる作 物を作りたい。儲かる作物は病害虫にやられやすい。収穫皆無となると、生きていけない。少々高くても農薬をやれば何とか収穫できる。背に腹は変えれないか ら農薬を使う。すばらしい効き目に驚く。こいつがあれば安心して作れる。生活は少しは裕福になる。底辺の生き方をするよりかチョットぐらい自命がちじまっ ても家族が喜ぶなら、となってくるのが私の激貧海外旅行で見てきた農家の自給から貨幣経済への入り口です。キューバも例外ではないはずです。
化学肥料・除草剤・農薬の輸入禁止、製造禁止、使用禁止を麻薬のように取り締まれば有機栽培は可能です。
でなければ、キューバだって何処からでも農薬、化成肥料は入ってきます。私の訪問した農家も、農薬は予想通り使っていました。熱帯ですから使用頻度も高い ようでした。現金収入は底辺から抜け出そうとする人々の切なるユメなのです。有機栽培が安定して生産ができ、高く売れるのでしたらみんなやってます。有機 農業者は、収穫ゼロの事態も想定し、そのリスクも生産物にオンされ無いとやれないと言う事です。だから、日本では1000分の1以下しかいないのです。
つまり、有機農業は先進国の贅沢農業なのです。日々、汲々と生活している農家には出来ません。これが、私が30年間やってきた有機農業へ自戒です。しょ せん、現状の世界では有機農業は金持ちの為の農業なのです。そんな農業をやってきてどれだけの運動になったのでしょうか。自然環境はマスマス破壊されて来 ています。世界の一方で餓死しそうな人々がおり、一方で飽食三昧な人々がおり、そのなかで世界中の家族農業が貧困に喘ぎながら企業農業につぶされようとし ています。
キューバには有機農業よりも、農薬の正しい使い方、化学肥料の正しい使い方を農家は良く知るべきです(日本も同様です)。そして、アメリカに翻弄された キューバ経済の立てなおしをどのようにされるのか。キューバ文化と文明の共存の視点をきめ、21世紀にキューバ国家をどのように発展させていくのか明確な ビジョンを持って農業改革をやらねなりません。その中で、キューバは有機農業をどの程度にするか。大掛りにやるとすれば、肥料専用草食家畜等も飼わねばな らないでしょう。それ以上に育種が間に合わないと思います。それまで、必要悪な農薬、必要悪な化学肥料は使わざるを得ないと思います。
キューバの農地で何が一番多く栽培されているか、2番目に多い作物は3番目は。これらの畑は十分な有機肥料があって無農薬で栽培されているのか。有機認 証の仕組みが理解されているのか。有機農業が盛んか否かはこの部分の確認をすればすぐわかります。それは無意味です。
自給自足で電気も水道もテレビも車も欲しがらず、文明を拒否するならば原始有機農業が成立するが、貨幣経済の中で発展を目指し生きようとする後進国では 有機農業は主流になれないしそれは究極の目的にすべきであって、農業の現場にそれを強要するならば混乱をきたします。
化学肥料も農薬も買えないから、有機農業が盛ん。ということは、貧乏国は有機農業をやれということか。化学肥料を使うのは金持ちの国か。黄色くかれそう な砂糖きび、へなへなの野菜を見たとき、カストロの強靭な理想と文明の誘惑にも負けず、ついてきたキューバ国民に頭が下がり、用意して頂いたサンバのリズ ムにも、何かしら酔い切れなかった。陽気なキューバの農民達と同じ視線でキューバを見ようよ!そして、一緒に家族農業を考えようよ!!