2021年1月より販売を始めた無茶々園の青のり。日照時間が長く温暖な明浜の気候が青のりの栽培に適していたことに加えおかげさまでご好評いただき、販売量は順調に伸びております。
3年目を迎えた今年、青のり栽培を行う佐藤真珠が俵津地区に新施設を作りました。新施設は栽培する水槽の容積が現施設の1.5倍。本格稼働後は既存施設と合わせると、生産量は現在の2.5倍の2.5tになる予定です。これに合わせ、色彩選別機と計量器も新たに導入。色彩選別機は超高感度CCDカメラを備え、識別困難だった微細な不良も除去し、収穫後のパック詰めに至るまでの製造能力も飛躍的に向上します。
新しい青のりの養殖場。
新施設でできた青のりを確認する。
真珠生産者である佐藤真珠が青のり栽培を始めた一つの要因は、真珠を作るアコヤ貝の大量斃死(へいし)。3年前に発生し、ちょうどコロナ禍も重なったことで真珠産業はこれまでにない危機を迎えました。(アコヤ貝斃死の原因は新種ウイルスと判明したものの、まだその解決策は見つかっていません。)この危機の中、代々受け継いできた産業を途絶えさせない為にと、新しい仕事づくりとして始めたのが青のり栽培です。現状の成功に満足することなく、新たな施設を作り、挑戦し続けています。
青のり栽培の新施設が出来た今年、同じく無茶々園の海の生産者、網元・祇園丸でも、新商品「ちりめんと青のりの佃煮」ができました。明浜で獲れたちりめんと一緒に炊き込む青のりはもちろん佐藤真珠が栽培したもの。同じ明浜の海の生産者で、佐藤真珠の代表佐藤宏二と祇園丸の代表の佐藤吉彦は兄弟。ちりめんと青のりの佃煮ができたのは必然だったのかもしれません。
青のりに取り組む佐藤真珠。息子にして専務の佐藤和文(左)と代表の佐藤宏二(右)。
青のりのパック詰めを担う網元・祇園丸のみなさん。代表の佐藤吉彦(上段右)は佐藤宏二の弟。
ちりめん漁を行う祇園丸が、加工品づくりまで手掛けるようになった要因も、海の環境変化による危機からです。ちりめんも不漁が続くなど、最盛期に比べ漁獲量は格段に落ちています。不漁が続けば明浜の主要産業のひとつであるちりめん漁は衰退してしまう。そうなるとこれまでともに働いてきた網子や製造にかかる人たちの雇用にも影響がでてしまいます。ただでさえ人口が減少している明浜町において、それは絶対に避けるべき事態ですが地球規模で進む環境の変化から逃れることはできません。重要なのはその変化に順応していくこと。かつてこの地で暮らした先人たちも、環境や時代の流れにあわせて逞しくしたたかに変わり続けてきました。祇園丸が加工品をつくり始めたのも、次の時代につなぐ仕事づくりとしての取り組みです。
無茶々園の最初のちりめん加工品としてできたのはちりめん山椒。「漁師らしい素材の味を活かした加工品を作りたい。ちりめん山椒と言えば京都が有名だが、京都のちりめん山椒は文化が生んだもの。ならば、無茶々園のちりめん山椒は環境が生んだもの。明浜のある西予市は海抜0mから1,400mまであり山椒栽培の適地もある。明浜だからこそのちりめん加工品。」と佐藤吉彦は言います。ちりめんと青のりの佃煮は、明浜の環境とこの地で海の産業を守り続けたいという共通の思いから生まれたものとも言えます。
網元・祇園丸ではちりめん漁だけでなく加工品づくりにも取り組んでいます。
変わっていく環境のひとつに漁獲量の減少など、これまで獲れていたものが獲れなくなるようなことが起きています。しかしながら、そのような環境だからこそ生まれるものもあります。異常気象や災害など近年予想のつかないことが多く発生している中、変化していかなければならないことも多くありますが、この地で本当の意味で豊かに暮らしていく、そしてそれをこの先も次世代にもつなげていく、その思いは変わりません。みなさんにも、無茶々園ではこれからどんな新しい取り組みが始まるのか、そんなことを期待しつつ楽しんでいただけると幸いです。
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ご紹介した明浜の海の生産者がつくる加工品の一部をご紹介。消費を通して持続可能な地域づくりにぜひご参画ください。