今年も無茶々園で、4月3日に恒例の「春の祭典」が行われました。この祭典はその年のかんきつの豊作と天の恵みを祈願し、毎年狩浜・本浦地区の段々畑の中にある“客人神社”で行われます。この客人神社にはかんきつを日本に伝えたとされる「田道間守(たじまもり)」が祀られています。
今から31年前の1991 年9月、「青森で収穫前のリンゴを落とした台風」として知られる台風19 号によって明浜の柑橘栽培は甚大な被害を受けました。この台風は、みかんを落としただけでなく、暴風によって吹き上げられた海水が柑橘園に降り注ぎ、塩害によって木を枯らすという被害を引き起こしました。台風が過ぎ去った後、青々としていた段々畑が茶色く変わり果てた光景に多くの農家が落胆したそうです。【3日たち、4日たつうちに、みかんの葉っぱが落ち出した。みかんの葉っぱが枯れだした。あれよあれよという間に山も竹やぶもみかん畑も茶色に一変してしまった。(1991年11月5日発行天歩第2号より抜粋。)】
1991年台風19号による塩害で枯れたみかんの樹
苦しい時の神頼みと考えた農家は、かんきつの神様を迎えようという話になりました。発起人の一人、片山元治は田道間守を迎えるため、和歌山県の下津町(現 海南市)にある橘本神社に出向きました。
「神様を迎えたことなんてないけん、何を持っていけばいいかわからんかった。ホームセンターで買った神棚を茶葉の入っていた桐箱に入れて風呂敷に包んで持って行った」。
そこで御霊を分けていただき、大工に造ってもらった客人神社に合祀し、4月3日を「春の祭典」としました。また、狛犬は日本の農業経済学者であり、愛媛大学の教授であった安達生恒さんにより寄贈されました。
今年は桜が咲き誇る中での祭典でした。祭典の後には今年こそ例年通りの「直会」が開催され、神前に供えた神饌(しんせん)を、農家・実習生・スタッフ・参拝者と一緒に頂きました。また、交流の場としての意味合いもあり、祭典の一部とも言えます。昨今の異常気象、相次ぐ自然災害にこの小さな田舎の段々畑もさらされています。いつまでもこの地域の神も海も山も人も共にあり続けれるよう、しなやかに変わり、守るべきものを守っていきたいものです。