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みかん畑の終活

2024.07.03

人生の終わりに向けて、資産や自分自身の扱い方を準備していくことが“終活” と言われるようになってきました。立つ鳥跡を濁さず、ではないですが、亡くなった後にトラブルやもめ事を起こさないよう、人生の終焉にむけてあらかじめ整理していこうとの考え方が広がっています。高齢化や核家族化が進むなか、家族やコミュニティに事後的に委ねるよりも、本人が事前に準備しておく、現代に住む私たちには重要な概念です。そして、この課題は人生だけではなくみかん畑にもあてはまります。

 

みかんの栽培は戦後に急速に広まり、明浜ではそれまで芋麦や桑を育てていた段々畑や切り開いた山の斜面をみかん畑へと変えていきました。いまから60~70 年ほど前、畑や山を持っている家はもれなく苗木を植え、地域のみんながみかん農家になっていった時代です。当初は潤ったものの全国で同様に増産したことから次第に生産過剰となり、価格や農家の経営が低迷する苦しい時期が長く続きました。都市部への人口流出も同時に進み、いまではみかん畑を継承できるのは一部の農家に限られるようになってきています。

 

荒廃したみかん畑。

 

全国の農村で耕作放棄地が問題になっていますが、みかん産地も例外ではありません。特にみかんの場合は耕作放棄地がゴマダラカミキリムシやミカンナガタマムシといったやっかいな害虫の発生源となります。みかん栽培の最盛期には農薬防除や耕種的防除、樹勢の維持など畑もよく管理されていました。その当時は問題にならなかった害虫が、放棄されて手が入らなくなった畑に残って増殖し、いまでは周囲のみかん畑にとって脅威になる事例が出てきています。

 

個人や家族のプライベートな営みとして行われるものである一方で、農業は地域があってこそ成り立つものでもあります。まずは気候や土地条件が前提となり、農道や水利といった人工的な農業基盤に加え、栽培技術や販売組織など無形の地域資産も農業を支えています。そして、地域全体として畑に手が入っていることも農業にとっては大事なことです。

 

地域の農家組織である無茶々園でも、みかん栽培からリタイアする生産者が出てきたり、畑を縮小する生産者もおります。また、拡大期に無理をして切り開いた生産条件の悪い園地をやめて、より条件の良い畑に移ることもあります。これまではそれぞれの農家に委ねるのみでしたが、譲る先がない場合には伐採してやめる共通認識を持つよう、働きかけをはじめています。

伐採作業が困難な場合にはみんなで手伝いに行ったり、伐採した後に自然林に戻すことも含め、農家個人だけではなく地域として取り組む課題です。広がる仕組みはあったものの縮める仕組みが整っていなかったみかん産業ですが、地域で継続していくためにもこれからはみかん畑の終活まで含めて取り組んでいかなければいけない時代になっています。

 

伐採したみかんの樹。作るだけでなく、終わりまで管理していきたい。

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