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蛸伝説

2024.11.16

無茶々園事務所のある狩浜地区では10月の第4土曜日に秋祭りが行われます。地域の人々が神輿をはじめ巫女の舞、牛鬼や五つ鹿、 御船、相撲練りなどの役割を担いますがその中の一つ、神輿を先導する「猿田彦」は代々神社に奉仕する家(宮烏:みやがらす)から男子一人が選ばれます。12年前よりこの役を引き継いだ齊藤満天さんに寄稿いただきました。

 

 

「食事は家族と別々に食べ、風呂は一番に入り、神社で寝泊まりし、神様の役を務めるため身を清める。(諸説あり)」祖父の代までは続けていたという風習だ。齊藤家は秋祭りにおいて、猿田彦の役を代々担っている。先達(せんだち)とも呼ばれ、神輿の前を行く案内役だ。近頃はワンデイゴッドなんて呼ばれたりもしている。狩浜の祭りの花形であろう牛鬼や神輿と比べるとあまり目立たないが、「先達がおらんと祭りが始まらん」と言う人もいるくらい重要な役である。齊藤家が先達を務めるようになった所以は、狩浜の古くからの言い伝えにある。諸説あり、曖昧な表現も多々ありのなか、「ふるさとの伝説(狩江編)」と言う資料に比較的詳しく記されているものがあった。方言、古い言葉を少し直した原文に、注釈や補足、考察を交えてご紹介したいと思う。
(以下「」内ふるさとの伝説(狩江編)より引用、参考)

「春日神社はな、霊験あらたかで多くの人々から崇拝されとった。また御神体が値打ちもんなんよ。銭金言わずに奈良から勧請した(移した)だけに、立派なものじゃ。あんまり評判がたかいから困ったことが起きたんじゃろうのう。ほんとにいけんやつがおってな、御神体を上方に売ろうと思って、夜遅くに神社から盗んでしまったんよ。」
春日神社は本浦区と枝浦区に挟まれた場所にあり、目の前には海が広がっている。(地図参照) 盗人は集落の目につかぬよう海からの逃亡を図る。

 

 

「盗人はちょっとでも早く逃げようとして無茶苦茶に船を漕いで帆を張ったんじゃ。ところが悪いことはできんもんぜ。はじめから帆も役に立たんほどの海がだんだんと時化だして、日振(地図参照)の沖からは大時化じゃ。そういう時は帆を下ろすもんじゃが、それさえできん大時化じゃから、傾いたまま飛ぶように走るんよ。こりゃ神罰に違いねえ。盗人は『もとの神社にお返しします。』と一心になってお祈りしたようじゃが、もうこうなったら遅いわい。」
 狩浜から日振島まで直線距離で20km以上ある。当然エンジンなどない時代。時化始めた海は真っ暗で帆も役に立たない。そんな状況でひたすら、ろをこいで逃げたと考えると盗人の根性にも目を見張る。盗人の生死は定かでないが、別の資料には命からがら逃げ延びたともある。この一連の逃走劇に関しては、目撃者はおそらくいないであろうし、まさか盗人本人が狩浜に凱旋して語ることもないであろう。この辺りはフィクションの割合が高いのではないかと思われる。さて、盗人はいいとして、御神体は一体何処に?話しは少し離れた佐田岬半島に移る。

 

 「その翌朝のことじゃ。三崎の名取(地図参照)の人が浜に出て『ゆうべの風はすごかったのお』と話し合っとった。その目の前で、蛸が何やら頭の上に捧げるように泳いで、汐べりにそれを置いたと思ったら、もう海の中じゃった。ほんのわずかのことよ。みんなあっと思ううちに近寄ると、驚いたことに『これは、どこかの御神体に違いねえぞ!わしらに祀れということかもしれん。』御神体を岩の上に置いて、みんなで石を集めだした。平べったな大きな石を屋根にしてその奥に納めたんじゃ。ありがてえことよのう。」
なんと日振島あたりからさらに20km以上離れた場所、名取地区で御神体は見つけられた。先ずは名取の人たちに感謝しなければならない。盗む人がいるほど値打ちのあるものだ。悪いことが頭によぎるかもしれない状況で、良くぞ健気に祀ってくれたものだ。名取ではなく別の場所で見つかったという資料もあるが、なんにせよ”蛸が御神体を海から運んできてくれた”のことが共通する部分であり、言い伝えの最も重要な部分である。蛸のお手柄と名取の人たちの厚意により御神体は無事祀られた。その頃狩浜の村は…

「狩浜じゃ神社が荒らされてるんで大騒ぎじゃ…八方へ手配りして探した、探した。『名取の浜にどこかの御神体が祀ってある。』と聞いて船を仕立てて飛んでいったら、本当にそうじゃった。
名取の人は親切にしてくれてのう、細かに教えてくれたんじゃ。行った連中は喜んでのう。白木綿にくるんで大事にして浜へ船をつけたんよ。長老が海に入って赤ん坊を負う格好で背を向けたら船の中から無言で背中へ載せた、と。あとも見ずに、神社に続く坂、石段を飛ぶようにして御殿に納めたそうな。」
御神体は無事、春日神社に戻された。めでたしめでたし。それ以来狩浜では蛸は神聖な生き物とされ、食べることはなくなった。現在でもその風習を守っている人もいる。この話の中に齊藤の文字は出てこないが、齊藤家は”盗まれた御神体を神社に戻したことから先達を務めることになった。”と言われている。短絡的な想像なのだが、最後に登場する”行った連中”もしくは”長老”が齊藤家だったのかもしれない。
 言い伝えや風習、文化などは壮大な伝言ゲームで、生き物のようにも思える。僕は狩浜という大きな生き物の一部として生きているとも言える。生かし続けたい。と思う。

 

参考資料  ふるさとの伝説 あけはまこぼれ話 狩浜のくらし 

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