移り変わる時代の中で、次の世代へと代々続いてきた祭りは、その土地のコミュニティや文化を形成する上で大切な役割を担ってきました。
やっぱり、「祭りがここにある」ということは、「ここに住んでいてなんぼ」という部分もあります。祭りの当日だけ外から参加してもらうのももちろんありがたいけれども、ここに住んで地域の産業に携わりつつ、お祭りもやるのが本来の姿ですから、そこに対する葛藤はあります。いずれは移住者が増えて、「地域で生きていく」上で祭りがあるようになっていけば一番嬉しい。
祭りとは神輿担いでワッショイワッショイの派手な部分だけでは無く、多くの準備があり成り立ってます。その多くの準備が大変です。町外から嫁に来てビックリしたのが何より準備を含めた「祭り」だったのだから。秋の夜長の針仕事はその中の一つ。練りの一つである牛鬼の足袋の底を補強する為に足袋に厚手の布を縫いつけます。しばらくぶりに押入れから裁縫箱を出し、針の穴に糸を通しているはず…なのに、針のすぐ横を素通りしてしまうのであります。焦りつつも何度か試みて、ようやく糸と針は一体に。昔々の母の姿を思い浮かべながら、しばしの針仕事に励むのです。
この針仕事が一番嫌なことで、夫、長男、二男とチクチクと何年も縫って来ました。
コレをやったら何かもらえる!とかでは無く「しゃ〜ない」とか「決まりだから」と利害無しの曖昧なことで成り立っている。多分、他にも「めんどくさい」って思っている人もいるはずだ。言葉にすると何とも言い表せない「曖昧な関係って大切な事ですよね」などと何だか答えのわからない事を思いつつ、地元の行事には、出来る限り見学者ではなく関係者でいたいと思っているのです。
祭りは舞だけで成り立つものではないということ。舞だけが受け継がれても、村での祭りの維持ができないと続けていけない。いかに文化を受け継ぎ続けるか。伝統を絶やさないために、どのような工夫ができるのか。村の中の人間は高齢化が進んでいて、どう村の外の若い人たちと祭りを続けていけるかが課題なのです。