≪集落を中心とした町作り≫
ソ連が崩壊し、世界の経済の自由化・国際化が進む中で、米さえもなしくずし的自由化が始まった。そして、企業の農業投資も含めて国際競争力を持った農業 に規模拡大するか、エコロジーなライフスタイルを楽しむ有機農業の方向に進むか、離農するかの選択が求められている。我々は今まで、町内一円の無茶々園化 を目標としてきた。そして、有機農業を通して故郷の活性化を目標としてきた。しかし、既存の農法を否定するため、理解の出来ない農家をアンチ無茶々園派に させたのも事実である。
今、南予の段畑農業が国際競争に生き抜くには、規模拡大、合理化、農法の問題よりも、田舎の活性化ビジョンが先に必要で、それは、町単位より集落単位で 進めることが必要であることに気が付いた。町は行政の単位だが、集落は仕事、生活、習慣等が緩やかに交わった運命共同体である。この運命協同体が機能しな くなれば町作りもムラお越しもない、自然と死に体化していく。規模拡大、農作業の合理化が稲作みたいに進まない段畑農業は、金はなくても自然の中で楽しく 生きていける生き方、そんな集落の活性化こそが町作りの基本だと思う。また、運命協同体が機能するということは、子供も、年寄も皆の宝という意識の再編が 必要今後、無茶々園の運動が、集落にどのように取り入れられていくか、ゆっくりゆっくり焦らずに進めなければならない。
≪法人化の推進(5人組制)≫
農業の国際競争が激化する中で農協が地域主義を捨てスリムになろうとしている。果たして信用事業が都市銀行並みに 購買、販売事業が大手商事会社、スーパーのように事業展開が出来るようになるのであろうか・・・?
農協合併が進む中で農家の農協との関わりは、[我々の農協]から[利用できる部分は利用する農協]に方向を変えなければならないであろう。そして、情報 が氾濫し、しかも進化していく中で生産、販売、経営、生活すべての面で自分たちにあった情報を自分達で選び自分達で組み立て直し使っていかなければならな い。農協の営農指導を受けながら個人経営をする時代ではなくなった。10ha、3~5戸程度の気の合った農家が緩やかな法人化をして合理化できるところ、 共同化できるところから経営の改善をしていく必要があると思う。そしてこれが連合会社として労働、経営、生活までの改善に早く着手しなければ蜜柑産地は生 き残らないだろう。
≪日曜日の休日化≫
今までのような晴耕雨読では後継者は育たない。とりわけ、休日、休暇の設定が必要。しかし、お金を浪費する休日であってはならない。価値観を変え、竹の 子掘り、茸取り、魚とり、炭焼きなどが出来るように、休日を、家族、友達、集落で考える。旅行御講組を作って長期研修旅行に行けるのも農業の特権。