創設者 片山元治コラム
「わしらの農業」
column

柑橘農業を取り巻く情勢と今後の展望

2012.08.02

 農業が自由化したという事は、産地間競争の時代でなく産地、農家間提携の時代が来たということで、つまり、我々の敵は、世界の大規模企業農業であり大手 商社で、それに迎合するエコロジーに理解のない都市消費者あることを認識しなければならない。しかし、農協は少なくとも今後10年以上、農家の経営、生活 向上、田舎の再建のためには戦力とならないだろう。何故ならば、農協はいままで行政との癒着のなかで体質の改善を怠ってきたため、経済の国際化、自由化の 中で、運動論も含めた思い切った改造をしなければ農家の為どころか自らも生き残れない局面にたたされているのである。農協理事者の保守性も含めて、農家の 役に立つ農協に再生するには、年月が必要。

 従って、農協が国際競争に対応できる組織に変革できるまでは、農家は農協と違った小回りが利きゲリラ戦の出来る新たな組織が必要になるであろう(農事組 合や出荷組合など)。無茶々園は、それを先取りした組織である。多くの農業評論家に言わすれば、自由化によって南予の柑橘農業は近い将来壊滅する公算が大 と言う。たしかに蜜柑の必要量が100万トン時代が来て、アメリカ、オ-ストラリア、中国などで日本人の好みにあったマンダリンが、育種、栽培されるよう になれば、麦が大豆がレモンが日本の畑で作らなくなたように、日本の柑橘農業が壊滅する事態も予想される。いや、そんなことより、蜜柑と競合する新しいタ イプの柑橘、その他の果物、若しくは菓子等の新商品がブ-ムとして広まり、それが、1年でも2年でも蜜柑価格を暴落さしたとすれば、蜜柑専業農家にとって 深刻な事態となる。かかる事態を乗り越えるためには、無茶々園にしかできない蜜柑を作りより密なる販売物流網を築くと言うことが第一であることは歴史的事 実だが、それだけでは過疎を乗り越え21世紀を展望できない。

 価格の暴落が何年か続いたとしてもびくともしない補完産業の育成が急務である。かって我が先人達は町外へ出ていき、反物を売ったり、お客事の料理人をし たりして生活を補ってきた時代もある。つまり、柑橘農業の補完は、農業にこだわる必要はなく、都市から田舎にお金が流れてくる道を作ることである。

 1991年の9月の台風で、未曽有の大災害を受けた無茶々の里のですが、この18年間は、一応無茶々園が田舎で市民権を得る為の段階をであった。そして今、壮大なる夢実現の為、第二段階の新たなる展開のビジョンを提示したいと思います。

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