1991年9月27日、襲来した台風19号が未曽有の被害をもたらした事はすでにご存じのことと思います。当地方も例に漏れず甚大な被害を受けました。それ以上に甚大な被害を受けたのはカメムシの被害でした。以下カメムシ被害について私の私見を交えてご報告いたします。
カメムシの異常発生の要因は三通りある様に思います。
一つは、暖冬で越冬固体数が多い。
二つは孵化時期の条件がよく孵化率が高くなった。例えば梅雨期に雨が少ない、夏に高温が続くなどの異常気象が孵化率をあげる要因の一つではなかろうか。
三つは、何らかの条件がカメムシと天敵のバランスを崩したためではなないでしょうか。二年連続では異常発生しないと言われるているのに、常識を覆す連続発生で二年続きの半作以下という悲惨な状態になってしまいました。
1991年の大発生は台風が来るまではそんなに深刻になるとは思えませんでした。普段は、雑地や杉、桧山などに住んでいるそうですが、台風で住みかを壊 され、大挙して蜜柑山へ引っ越してきたようです。三つの要因の中で越冬固体数はあまり関係ないように思います。なぜならば、当地区より最低温度が相当低い 地域でもミドリクサカメムシが異常発生をしています。
私は二又は三だと思うのです。この二年色々な害虫が異常発生しています。1990年は、アカダニとサビダニが異常発生したし、1991年はアカダニとカ イガラムシが異常発生しました。勿論無農薬栽培をしている園に発生したのです。私達は18年間有機農業に取り組んできて三年前にはヤノネカイガラムシの天 敵が安定しやっと完全無農薬栽培に移行できると張り切っていた矢先に・・・。
三年前まで、いるにはいるが、経済ベースでは問題なかったダニ、カイガラムシが急に暴れだした。この条件は何なのか、カメムシにも共通すると思うので す。それと、この二年連続台風に見舞われました。この十年あまり、真上を通った台風もありましたが、この二つのような台風らしい台風ではありませんでし た。台風が吹いて、草木を薙ぎ倒すと、居心地の言い住みかを荒らされ、傷ついた蜜柑の木は、カメムシの喜ぶような匂い、物質を出しているのではないでしょ うか。カメムシはこの弱った木に最初にきます。そして仲間を呼び集め、テリトリーを少しずつ広げて何時の間にか園全体に広がって行くのです。いくら追い 払っても新しい場所に集まるのではなく元の場所に戻ってくるのをみると何やら皆を集めるようなフェロモンみたいなものをみかんの木にくっつけているようで す。
カメムシはたいへん運動神経がよく利口な昆虫です。10月7日頃までは、元気よく活発に動くので、強力な殺虫剤をまいても死ぬより逃げるほうが多く三日 もたてば元の木阿弥。私はカメムシの飛ぶ姿を写真に撮ろうとしましたが、飛ぶスピードが早すぎて写りませんでした。農協はカメムシ用の殺虫剤を確保するた めに北海道の農協からも取り寄せたということですから、日本全国カメムシの為にどれだけ多くの殺虫剤が使われたか想像できると思います。一般の農家に言わ せるとカメムシが参るか人間が参るか競争だったそうです。10月7日を過ぎると少し寒くなり、カメムシの動きが少し鈍くなり農薬が効くようになりました。 土地の表面がカメムシの死骸で絨毯を敷き詰めたようになっているのをみたとき、農薬は薬ではなく毒薬なんだと実感しました。
私達は無農薬栽培で頑張っておりますので、ニンニク、木酢、焼酎、石けん、馬酔木の葉、効きそうな民間療法はほとんど試しました。3日に1回程散布する のですが、やってもやってもカメムシは増える一方です。ついに、「カメムシ様降参です。コンピューターや超伝導が云々されている時代に、あなたは科学より 偉い。どうぞ好きな用に暴れてください。」という事になった。
結局無農薬で頑張ったの4、5軒の農家だけとなり収量は平年の2割作と何とも惨めな結果となりました。1990年の異常発生は温州蜜柑だけでしたが、 1991年のときは、伊予柑、ポンカンなど晩柑類も軒並みやられ、無茶々園として、今後カメムシ対策をどうすれば良いかお先真っ暗です。それにしても、も う一歩で完全無農薬栽培が可能という時点で、カメムシという今までもいながらたいした害虫ではなかった虫が、突然柑橘に壊滅的打撃を与える害虫となった。 なぜカメムシは突然強烈な害虫に変身したのか??
一個の蜜柑に、10匹も、20匹も群がっているカメムシを見ていると、カメムシも学習して進化しているように思える。人の科学が人為的に遺伝子の組み替 えも出来るほど進歩したというけれど、どうも、サイバネーション化が進むばかりで、ちょっと道を間違えると人類は元より、緑の地球をも破壊しかねないとい う危機を感じるのは私の入らぬ気苦労か。