創設者 片山元治コラム
「わしらの農業」
column

イワンの馬鹿論

2012.08.02

 ロシアの偉大な文豪トルストイは文学的価値のある本を書くのが嫌になって百姓をしながら誰にでも分かる童話を書くようになったそうな。最後は無の世界を悟ってか放浪に出て野垂れ死にをしたそうな。無茶々の里までだどり着いていたなら相当うまい酒を飲んであの世にいけたのに残念でたまらない。

 そういうことを知って改めてイワンの馬鹿を読むと誠に新鮮で無茶々園のテキストとして貴重な存在となった。実に無駄のないすごい童話だと感じるのは私だけだろうか。達はイワンの馬鹿になれるか、お金という魔力に惑わされず、どの程度までならイワンの馬鹿になれるか・・・?

 私が息子といしょに40日かけて太平洋一回りの旅をした時、タイのチェンマイのゲストハウスでODAの仕事でタイにきて、仕事が終わったので観光をして いるという日本の学生にであった。彼は、17、8の女の子が4、5千円で抱けると興奮して話していた。そして今からもう一度行ってくるとでていった。何が ODAだ。エイズになってくたばっちまえ。一瞬俺も行ってみてぇなと思ったのは不純な心なのか男の本能なのか・・・。その後、彼女達がなぜ体を売るのか 知った。タイという国は田舎に住むなら飢えるということはない。椰子もマンゴもパパイヤもバナナもどこにでもある。彼女達はカセット、バイク、車、いい家 がほしいために体を売るのである。学校を卒業して皆が夜の町に就職していくのに独りだけ売れ残った娘が私だけ売れ残ったと大声で泣き悲しんだという話を聞 かされた。

 一生懸命木をこすって火を作る時代にマッチやライターを見せたらどうなる? マルクスは宗教は阿片といったが文明の利器こそまさに阿片である。南の国の どんな激田舎へ行ってもまず商売人が文明の利器を売込みにいく。そして、文明の利器で社会混乱が起きたところにキリスト文化が入り込み在来の宗教、生活習 慣を駆逐し経済の奴隷化が進む。

 永々として伝えられてきた地方宗教、そのもとで営々として培われた生活習慣は、実に自然と調和がとれものだった。それが壊れると自然破壊が始まる。持続 不可能な田舎と化す。そこに我々が今から再興しようとしている田舎の破壊されていった現場を見ることができる。このことは、南北を問わず世界中の田舎に共 通する課題だと思う。肝心なことは、文明の現状を認識しながら敢えて田舎再建に取り組みことだと思う。

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