無茶々園の初夏初夏の代名詞といえば河内晩柑。無茶々園では「玉三郎」の名前で親しまれています。
文旦系の品種らしい苦みと香りの中に広がるさっぱりとしたさわやかな酸味、たっぷりの果汁が魅力です。
無茶々園が河内晩柑の栽培に本格的に取り組み始めたのは2000年ごろ。
柑橘の少ない春から夏にかけて出回る河内晩柑の人気が出始めていた時期です。
明浜から2時間弱ほど車で走った場所にある愛南町は河内晩柑の日本一の産地です。
この愛南町の生産者有志たちがメインとなって栽培に取り組んでいます。
一般栽培から農薬などを抑えた無茶々園の栽培へ切り替えてもらって15年が経ちました。
今回河内晩柑の様子見も兼ねて生産者の取材もしてきましたのでご紹介いたします。
〇孝野秀樹さん(47)
孝野さんは、農家になる前はホビーショップの店長というちょっと変わった経歴を持つ生産者。
サービス業経験者ならでは(?)の落ち着いた物言いと穏やかな笑顔は、話していて安心感を与えてくれます。
江戸期よりごろから代々農家を営む孝野家。
その昔は畑や田んぼをやっていましたが、県の農業構造改善事業により、35年ほど前から柑橘栽培に切り替えたそうです。
温州みかんや甘夏づくりを経て、今では河内晩柑を中心に栽培。
無茶々園が河内晩柑に取り組みはじめたころから出荷してくれている、つきあいの長い生産者です。
生産者、孝野秀樹さん。
大きく育った河内晩柑。
〇猪野辰夫さん(66)
やさしそうな表情が印象的な猪野辰夫さん。
孝野さんと同じく猪野さんも10年以上無茶々園流の栽培で河内晩柑づくりに取り組んでくれています。
河内晩柑づくりの苦労を聞いてみると、旺盛には成る品種ではあるものの、生理落果がとても多いこと。
また農薬を控えた栽培なので見た目が悪く、精品率が落ちてしまうことだそう。
「環境負荷を減らすため農薬に頼らない柑橘づくりに取り組んでいます。
見た目は今ひとつかもしれませんが、味の良い柑橘になるように一生懸命手をいれておりますので、
ご理解いただけるとうれしいです。」と語っていました。
やさしいそうな笑顔の猪野辰夫さん
冬期の生理落果は悩みの種です。
見た目は今ひとつですが味には自信アリ!
試行錯誤を繰り返しながら、額に汗して柑橘づくりに取り組む生産者たち。
その想いをくんでいただきながら、無茶々園の柑橘を賞味いただけると幸いです。