柑橘栽培の起点は春。
三月、葉を縮めて冬の寒さをこらえていた枝々から柔らかい春葉が吹き、
目に見えて樹が動き始めるのがわかります。
剪定に、病害虫の対策に、農家も来るべき収穫に向けた手入れがにわかに立て込む季節です。
四月に入って小さな蕾が顔を見せるようになると収穫のイメージがさらに膨らみます。
今年はどうやら蕾の数が多く、花付き良好でどうも豊作基調になりそう。
樹勢のバランスが崩れないように着果量を抑える一年になりそうな気配がしています。
前年の収穫がほぼ終わって新たな一年がはじまる春は、
耕作面積を減らす農家から増やす農家へ、畑のやりとりが行われる時期でもあります。
みかん栽培の全盛期であった40年、50年ほど前には、
ここ明浜でもみかん園は高額で取り引きされたそうですが、
農業人口が減るいま、なかなか良い値では売買されません。
畑の貸し借りはほとんど無償というところも少なくなく、
作りにくい畑や農道から距離が離れた畑から借り手がつかずに放棄されることになります。
全国有数の柑橘産地として通っている愛媛県の海岸部は、
急傾斜で入り組んだ地形や古くに築かれた石積みをそのまま生かしている畑が多く、
とても仕事がしやすい効率の良い条件とは言えません。
それでも営農の礎は地域で産地を形成することにあり、
何とか畑を受け継いでいこうと、作れるものが作っていくのです。
この春、明浜の狩浜地区では昔から無茶々園でみかんを作られてきた
原田和男さんと片山悟さんが農家を廃業されることとなりました。
傾斜地での柑橘栽培は日照や排水には恵まれる反面、決して楽な仕事ではなく、
年を重ねるにつれ、また家族の働き手が少なくなるにつれて手の回る範囲が小さくなります。
それぞれに事情があっての判断となりましたが、
同じ地域で有機栽培に一緒に取り組んできた方の引退は寂しいものです。
”栽培”条件には恵まれているものの、”生産”条件はなかなか厳しい地形です。
無茶々園ではこの20年の間に10名ほどの農家が廃業されてしまいましたが、
狩浜地区ではそのほとんどの畑が次の農家に受け継がれています。
今年廃業されたお二人の畑も、無茶々園のメンバーを中心にすべて作り続けて行くことになりました。
農家が畑をやめることになるとまずは親戚関係や特に近しい農家に耕作をあたっていきますが、
畑が多い場合にはもっと広く声を掛けていかねばなりません。
音頭を取る農家があればその人を中心に、あるいは地域の農家が集まって、
どう畑を維持していくのかが話し合われます。
そうして、拡大する意欲のあるところ、後継者のできたところ、
海外実習生が入ったところには優先的に畑を渡していくことになります。
無茶々園の直営農場部門であるファーマーズユニオン天歩塾でも、
一時期は明浜でのみかん作りからは手を引いていましたが、
この数年で明浜のみかん畑が2haほどまでに増えることになりました。
畑を受け継いだ農家の耕作面積は増え、一人当たりの面積も拡大しています。
いままで通りの範囲で済ませたいのであれば荒れるに任せれば良いものかもしれませんが、
狩浜は畑を守る意識が強く、その美しい石積みとともに地域の生産基盤を受け継いでいこうとしています。
農家の経営やみかん作りのあり方も少しずつ変わっていきますが、その歩みをまた一歩進めたこの春です。
時代時代に応じてかたちをつつ、この地域を継承していきたいもの。