無茶々園ではすっかりおなじみとなった、てんぽ印の乾燥野菜・乾燥果物シリーズ。今夏、この製造を一括しておこなう「てんぽ印の乾燥工房」が新しく完成しました。てんぽ印のメンバーは、Iターンで就職したスタッフを中心に9名と、ベトナムやフィリピンからの技能実習生4名。主な取り組みは有機農産物の生産ですが、畑を耕し、種苗の植え付けから収穫までの栽培はもちろん、収穫してからの加工、袋詰めまですべてを自分たちの手でo行っています。また、無茶々園の農家が収穫した梅を梅干しにするのも、彼らの手仕事。みかん山にいたかと思えば野菜畑に、早朝には海辺の干し場、夕方には選果場・・・彼らのフットワークとチームワークには感服です。
ところで、てんぽ印が野菜などを育てている畑の多くは、愛媛県松山市北条(ほうじょう)という地域にあります。一方、これまで加工場として使っていた公共施設があるのは、西予市明浜町。収穫した農産物はその都度、自分たちのトラックで約3時間かけて運ぶ必要がありました。畑の近くに自分たちの加工場を持ちたい!と数年前から構想をあたため、ついに今年、それが実現。もちろん場所が近くなっただけではありません。施設には最新の機器が備えられ、国が定めた一般衛生管理プログラムにも対応。一層の生産性向上・生産力強化を図り、また今後の多様な商品の開発も見据えています。
めでたく完成した乾燥工房ですが、本当の本番はこれから。日々の農作業を進めながら、新体制での仕事を軌道に乗せるべく、毎日てんやわんやのてんぽ印ですが、明浜と北条の往復の合間を縫って、代表の村上が話をきかせてくれました。
てんぽ印の前身であるファーマーズユニオン天歩塾が加工事業に乗り出したのは、2011年のこと。豊作だった大根を余らせてしまうのを避けるため、明浜のちりめんを干す網を借り、天日干しの切り干し大根を作ったことがスタートでした。農作物の生産はどうしてもその年の作柄に左右され、特に豊作の年は、生のまま適期に全て出荷することが難しくなってしまいます。それを乾燥加工することで、廃棄ロスを減らし価格を安定させることはもちろん、あらゆる面でメリットが得られるようになりました。季節を問わず販売できること、便利さという付加価値でより多くのお客様に手に取っていただけること、そしてスタッフや外国人技能実習生の新たな仕事の幅が広がること。乾燥加工はもはや生産量調整という役割を超え、てんぽ印の事業を支える大きな柱の一つとなりました。乾燥シリーズの品目も着実に増やし、現在10種類をこえるラインナップに。ゆくゆくは乾燥だけでなく、粉末や練り物など、様々な種類の加工に挑戦していきたいといいます。
新しい農業の可能性を切り拓く、てんぽ印。でもあくまで、大事にしたい原点は“地方・地域”というキーワード、そこでの“生業としての農業”だといいます。こつこつと単純で地道な作業の積み重ねに、急峻な斜面や夏の暑さとの闘い。どれだけ頑張っても、自然の脅威を前に為す術をなくす時もあります。それでも一つ一つのしごとが、嬉しい実りの季節につながっていく。そんなふうに繰り返す日々の暮らしの中で、脈々と受け継がれ、営まれてきた農業。この地でこれからも絶えることなく続いてほしいと願いますが、人口減少による人手不足は深刻です。農作業に限らず、過疎化が進めばインフラの維持すら難しくなり、地域存続の危機も免れません。元気で自立した地域であり続けるためには、外から人が入ってくる、帰ってくることが何より大切。てんぽ印は、そのために開かれた入り口でありたい、という思いがあります。
「カギを握るのは“よそ者・若者・馬鹿者”。継承産業といわれる農業の世界で、何も知らない、何も持っていない我々だからこそ、“てんぽな(向こう見ずな)”ことでもやってみる。もちろん、受け継がれてきたものに敬意をもつことも忘れずに。そうしてしっかりと地域に根付き、地元の人たちと一緒になって、ここならではの豊かな暮らしを、つくっていきたいのです。」
新規就農から始まり、農業生産の安定、そして発展へ。てんぽ印は今や無茶々園のなかで大きな生産力、地域の農業の担い手となっています。組織の成長とともに、村上の思いは一つずつ、形になりつつあります。さて、最後に話を戻し・・・乾燥加工を通して、てんぽ印から皆様に伝えたいことは?
「有機農産物(オーガニック)が当たり前の暮らしが、地方にはあります。それを皆様にも、おすそ分けできたらいいなと。有機野菜・果物がいつでもそばにある、今よりもちょっとだけ、豊かな暮らし。てんぽ印の商品を通じて、皆様それぞれの形で見つけて、楽しんでもらえたら、嬉しいです。」
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