1974年に明浜の農業後継者活動のなかではじまった無茶々園の取り組み。もう45年の歳月が流れてゆきましたが、農家グループとしての性格は持ち続けながら、事業・活動の変遷にともなって組織の在り方も変えてきました。地域にも無茶々園にもたくさんの課題や未来がありますが、なかでもいま足元のみかん作りをどうしていくのかを考えていく場が「無茶々園・生産部」です。
何しろみかん作りの環境が大きく変わりました。まずは自然環境ですが、1970年代と2010年代を比較すると、明浜近辺の平均気温は1.2℃上がり降水量は15%も増えています。植物は温度や雨量には確実に反応しますので、作り方も昔のようにはいきません。一方でみかんの消費量は大きく減少し、昔は10kg箱入りのみかんを家庭で当たり前に食べていましたが、いまではかなり珍しくなっているのではないでしょうか。また、地域でも高齢化は着実に進み、耕作放棄地や空き家の増加など過疎地ならではの問題も例にもれず抱えております。
無茶々園のはじまりから45年。人も畑も、生産も消費も昔とはだいぶ変わりました。
活動の初期には、慣行栽培で作っていた園地を有機栽培へ切り替えるにはどうすれば良いのか、とシンプルな問題提起でまとまっていました。いまやそれだけではなく、温暖化への対応、創業世代から次世代への移譲、農家の経営問題ひいては地域の活性化、など農家の周りだけでも多くの課題が混ぜ込まれ、無茶々園の農家が取り組む世界もより複雑になってきました。(もちろん、進んでそうしてきたところもありますが・・・。)
農家間で生産の方向性を見出すには、昔は強引なリーダーシップと義理人情。そして酒を酌み交わしては二日酔いと共に認識のズレも水に流して来ました(冗談です)。基本的にはいまでも同じ世界に暮らしています。しかし、問題が複雑化し、多様な世代、立ち位置の農家が混在するいま、「生産部」の活動を中心にして生産の問題解決に取り組む形を作ろうとしています。
生産部には若手中心に21名の農家と2名のてんぽ印スタッフ、9名の事務職員が入っています。そして、柑橘栽培の基本技術について話し合う栽培技術部会、品種の構成や販売・出荷のあり方を話し合う品種出荷部会、内部監査の運営や経営管理について話し合う情報経営部会、そして長期的な見通しを話し合う2030ビジョン部会の、4つの部会を設けて活動しています。各部会で提起された内容をまずは部会内で話し合い、最終的には生産部全体で共有します。栽培に関する取り決めやルールに関することはこの生産部で議決して、すべての農家に伝えていくようにしています。
このように多くの関係者が関わる組織運営がうまくいくかどうかは未知数であります。しかし、若い農家やスタッフが、問題意識や情報を共有し、自らが提案し、合意を作り、変えていく体験を積み上げることが生産部の役割の一つ。そうして、将来に渡って農家が主体的に関わる無茶々園を維持していくために、工夫を続けていきたいと考えています。
生産部で生産委員長を務める藤本敦。頼りになるみんなのアニキです!