真珠をつくるアコヤ貝の母貝が大量斃死(へいし)して1年が過ぎ、次の母貝の状態も不透明な中、コロナ禍で流通も止まり、真珠産業は過去最大の危機的な状況にあります。このまま何もしなければ、代々受け継いできた産業が途絶えてしまうでしょう。回復するまでの間だけでも何かしなければ。そうこう考えて行きついたのがアオノリの栽培でした。
取り組むのは「スジアオノリ」といって、お好み焼きやタコ焼きの上にふりかける、あのノリです。家の前の川でも自生しており、一度食べてみたのですが、磯の風味が豊かでとても美味でした。多くの天然物は四国の四万十川や吉野川の下流で採れますが、近年は温暖化の影響で収穫量が激減しており、栽培が注目されています。
大量斃死したアコヤ貝。
2020年4月、アオノリ栽培を研究している高知大学と佐藤真珠の間で共同研究契約を締結しました。この技術を活用してアオノリの栽培を行います。栽培といっても海上ではなく陸上栽培。地下海水をくみ上げ、平らなプールでアオノリを育てます。地下海水の水温は安定しているので、気候や環境に左右されない栽培ができるのです。アオノリの成長に必要なものは海水と太陽の光。きれいな海が広がり、日照時間の長い穏やかな気候の明浜町は、アオノリ栽培にぴったりの場所だったのです。
しかしながら、真珠栽培とは勝手が違い、何もかもが初めての作業。毎日が手探り、勉強の日々です。片道4時間かけ毎週のように高知大学へ通い、種作りを学びました。文系出身の私には懐かしい、ビーカーやスポイト、シャーレなどの器具を駆使し、アオノリの種を培養するのですが、中学以来であろう理科の実験は不慣れなことで失敗ばかり。40過ぎて研究室に引きこもり、自分は何をしているのだろうか?と自問自答し、挫折しかけたこともありました。しかし、慣れというのは面白いもので、増えていくアオノリを見続けていたら途中から何だか楽しくなってきて、気が付けば技術が向上。今では自社培養もできるほどに上達しました。六十ならぬ、四十の手習い。何とかなるものです。
佐藤真珠、佐藤和文さん。
さて、研究室でアオノリの種が5ミリくらいに成長したら外の水槽に出すのですが、そこから育てるのがまた大変。アオノリは順調に育つと一週間で十倍に成長し、それにあわせて容量に合った水槽に移していくのですが、少しでも油断すると大きくなり過ぎて排水口に詰まります。せっかく育てたアオノリが数千個溢れ出すこともしばしば。また、大雨になれば大量の雨水で排水能力がオーバーすることも。深夜一時の通り雨。寝室から飛び出して栽培場へ向かい、水槽の排水口を確認したこともありました。
そんな感じで24時間アオノリのことを考えていたのですが、ある日、長男から「最近、父ちゃん不在で家族のふれあいが少ない!」と言われました。増えるアオノリとは対照的に、家族との時間が激減していたのです。これはいかんと、週に数回は子どもらを連れてアオノリ栽培場へ。成長の早いアオノリに子どもらは興味津々で楽しいみたいです。今では家族みんなでアオノリの成長を見守っています。
水槽のなかで育つアオノリ。
水槽に移したアオノリは30~40日ほどで収穫を迎えます。収穫したら脱水して機械乾燥。乾燥させたアオノリは磯のとても香り豊かで舌触りも良好です。試食してもらった無茶々園のみんなやアオノリ業者の方にもとても好評で、品質の良いものができたと自負しています。明浜の新しい海の産業づくり。みなさんにも消費というかたちで参画してもらえると幸いです。