無茶々園の活動の中心となっている明浜町は東西に長く、東から俵津、渡江、狩浜、高山、宮之浦、田之浜の6つの集落があります。その中でも西端に位置する田之浜地区の畑をてんぽ印が借り受けることになりました。田之浜でも「山の奥の山の上にある」この畑は40年ほど前、生産者・中山源綱さんが開墾しました。昔はサツマイモを育てていましたが当時は荒れており、草木を刈り取り苗木を植え、潅水設備に至るまで自分で整備したという、まさに中山さんが一から育て上げた畑です。
明浜でもっとも西端の地区、田之浜。漁師町的な趣きが強くなります。
中山さんは家族の病気をきっかけに引退を決意。「もともと数年後には引退しようと思っとったけど、人生は設計どおりにいかんかった」のですが、引退を決めてからは方々に話をし、同地区の生産者やてんぽ印に畑を任せる道筋を立てました。無茶々園の生産者として活躍すること40年余り。農業は重労働。収穫期は力がいるものの成果がわかるが、夏場の草刈り(特に幼木園)は大変で「(除草剤を使う)一般栽培の畑がうらやましかったこともあった」と苦笑い。それでも無茶々園の生産者を続けてきた理由は消費者の皆さんとの交流があったからです。
柑橘農家、中山源綱。
生まれも育ちも田之浜の中山さんにとって自分のみかんは「この味しか知らないから普通のみかん」。そのみかんをわざわざ購入してくれること、はがきなどを通じて届く消費者の生の声が農業への気持ちを支えてきたと言います。
今後は農家にも定年を作り、畑を継承する時期を明確にしてもいいのではと中山さんは考えています。農業はやりがいのある職業ですが、経済的に安定しなければ続けていくことは難しく、加えて果樹栽培は植えて一年で収入に直結するものではありません。収穫が見込める畑を作り、価値ある園地として若手に譲ってこそ後継者ができ、集落の継続につながっていきます。
源綱さんから受け継いだ畑のポンカン。
中山さんの畑を樹の仕立て方、獣害対策にいたるまで「愛を感じる畑」と表現したのは引き継いだてんぽ印の村上さん。この畑を価値ある畑として次の世代につなげることが、無茶々園の創成期を支えた生産者への恩返しであり、役割だと信じています。